名前はよく聞くけど。
黄金期にはダイアナ・ロス&スプリームスやジャクソン5、テンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、スティーヴィー・ワンダーをはじめとする多くのスターを輩出したんだ。
モータウンってなに?
今なお世界中のアーティストに影響を与え続ける、モータウン・レコード(Motown Records)。
通称「Hitsville(ヒッツヴィル)USA」とも呼ばれる、このソウル・ミュージックの老舗レコード会社は、アメリカンドリームの象徴でもあります。
1960年代のアメリカのショービズ界で、不動の人気を誇ったあのビートルズと競り合っていたのは、モータウンのスターたちでした。
豪華な顔ぶれ!モータウン所属アーティスト
若い人の中には、モータウン・レコードと言われてもピンと来ない人も多いかもしれませんが、所属アーティストの名前なら聞いたことがあるんじゃないでしょうか?
アイズレー・ブラザーズ
アンディスピューテッド・トゥルース
ウィリー・ハッチ
エディ・ケンドリックス
エドウィン・スター
エリカ・バドゥ
エル・デバージ(元デバージ)
オリジナルズ
グラディス・ナイト&ザ・ピップス
コモドアーズ
ジミー・ラフィン
シャニース
ジュニア・ウォーカー&オールスターズ
ショーティ・ロング
ジョニー・ギル
シリータ・ライト
スウィッチ
スティーヴィー・ワンダー
スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ
スプリームス / ダイアナ・ロス
ダズ・バンド
タミー・テレル
スピナーズ
ティーナ・マリー
デビッド・ラフィン
テンプテーションズ
トゥディ
ジャクソン5 / マイケル・ジャクソン(後にEPICへ移籍)
バレット・ストロング
フォー・トップス
ブライアン・マックナイト
プリンス (2006年~)
ブレンダ・ハロウェイ
ベイシック・ブラック
ボーイズIIメン
ボビー・テイラー&バンクーバーズ
ボビー・ナン
マーヴィン・ゲイ
マーヴェレッツ
マーサ&ザ・ヴァンデラス
マイア
ザ・ミラクルズ
メアリー・ウェルズ
ライオネル・リッチー
リック・ジェームス
レア・アース
レオン・ウェア
レクスン・エフェクト
ロックウェル (ベリー・ゴーディ・ジュニアの息子R&Bシンガー)
レミー・シャンド
近年苦戦を強いられている印象もありますが、2000年以降でいうとエリカ・バドゥやインディア・アリー、Ne-Yoもモータウン所属です。
リトル・マイケル率いるジャクソン5。カワゆす↓↓↓
モータウンの誕生
モータウン・レコードは、ミシガン州デトロイトで、1959年に設立されました。
創設者は、同じくデトロイト生まれのベリー・ゴーディ・ジュニア(Berry Gordy Jr.)。
ゴーディはもともとジャズレコード店を経営していましたが、店はうまくいかずに閉業。
しかし、音楽を愛する彼は自動車工場で働きながら作曲活動をして、コンテストや出版社にデモを送り続けました。
その甲斐あって、いくつかのヒット曲を世に排出。
が、作曲者にはほとんど分け前が入らないことに気付き、制作・販売・宣伝・楽曲管理など全てを自社で行うインディペンデント企業、モータウン・レコードを立ち上げたのです。
モータウンは「The Sound Of Young America(サウンド・オブ・ヤングアメリカ=若者のための音楽)」をモットーに、タムラやゴーディ、ソウル、VIPなどのレーベルを加えながら独自のサウンドを確立。
次々とヒット曲を世に送り出し、1960年代半ばごろには全米を代表するレコード会社にまで成長しました。
モータウン・サウンド
多数のヒット曲をかかえる黄金期のモータウンの曲には、「短いイントロ」や「激しめのビート」、「キャッチーなサビ」などの共通する特徴があります。
当時のプロデューサーたちは「KISS(keep it simple, stupid=簡潔に)」を原則としていたのだそう。
実に戦略的ですね。
モータウン・サウンドとは
当時は、まだ黒人ミュージシャンが活躍できる場はわずか。
加えて、ジャズが根付くデトロイトという土地柄ということもあって、モータウンには黒人の優秀なミュージシャンやソングライター、アレンジャーが集まりました。
彼らを使ってゴスペルやファンク、コール&レスポンスなど、当時はまた黒人だけのものだった表現を、白人にもわかりやすいアプローチで売り出したら、大当たり。
そのキャッチーで大衆的な音は、いつしか「モータウン・サウンド」と呼ばれるようになりました。
ところが、ヒット作を生んだ優秀なメンバーたちに課せられたのは、それを量産するという使命。
当時のモータウンのスタジオはいつも解放された状態で、22時間操業だったといいます。
そして、毎週金曜の朝になるとゴーディが品質管理会議を開催。
ここで一定以上のクオリティが認められない曲はリリースできませんでした。
アメリカンドリームを叶えたモータウンも、裏では過酷な制作過程があったのです。
皮肉を込めて自動車工場に例えられていたほど。
ゴーディのやらかし話
ゴーディによる金曜の品質管理会議の話ですが、会議ではゴーディに拒否されたものの、のちに批評的、または商業的に成功した作品も少なからずあるようです。
有名なところだと、マーヴィン・ゲイの『I Heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)』や『What's Going On(ホワッツ・ゴーイン・オン)』も、なんとその一例なんだとか。
↓↓↓こんな名曲がボツっていたかもしれないなんて!!
モータウン・サウンドを支えた影の立役者たち
モータウン創立60周年を記念して作られたドキュメンタリー映画「メイキング・オブ・モータウン」は、創設者のベリー・ゴーディが主役。
ですが、当時もゴーディひとりの努力だけでは、モータウン・サウンドは誕生していなかったでしょう。
創設期から黄金期を支えた、優秀なブレーンたちをご紹介します。
ファンク・ブラザーズ(The Funk Brothers)
モータウンは2002年にも、「永遠のモータウン」という作品でドキュメンタリー映画化されています。
その主役は、ファンク・ブラザーズと呼ばれるモータウン専属のバックバンドでした。
あれだけヒットが量産されていたのにも関わらず、当時は彼らに光が当たることはなく、それどころかレコードジャケに彼らがクレジットされることすらなかった、というから驚きです(その頃はそれが当たり前だったのだそう)。
スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)
『You've really got a hold on me』や『The Tears Of A Clown』のヒットで知られる、スモーキー・ロビンソン&ミラクルズのリードシンガー。
ソングライターやプロデューサーとしても優秀で、モータウン初期のヒット曲はほとんどが彼が作ったもの。
また、会社の一員としても副社長を任されるほどゴーディに信頼されていました。
ホーランド=ドジャー=ホーランド(Holland-Dozier-Holland)
スモーキーとともに、モータウンの黄金期を作ったソングライターチームです。
メンバーは、エディ・ホーランド・ジュニアとブライアン・ホーランドの兄弟、そしてラモント・ドジャーの3人。
数々のヒット作を生んだ重要メンバーですが、楽曲印税についての不満をもとに1968年にモータウンを離れ、訴訟を起こしています。
タレント養成所の先駆け
モータウンが時代を先駆けていたのは、楽曲制作だけではありません。
「アーティスト・デヴェロップメント(Artist Development)」という、今でいうタレント養成所のような専門部署があったというのも最先端。
歌唱指導や振り付けはもちろん、衣装や歩き方、インタビューの受け答えに至るまで、アーティストを事細かに指導。
白人社会にも受け入れられる洗練された身のこなしを、徹底的に教育していました。
今でこそ、当たり前のようにどの芸能プロダクションも行っているシステムですが、当時としては画期的。
特に振付師のチョリー・アトキンスは、ボーカルグループに初めて振付けをした第一人者として有名で、数々の印象的な振りを生み出しました。
↓↓↓テンプテーションズとスプリームスがお互いの代表曲を交換する貴重な「エド・サリバン・ショー」。マネしたくなる振り付けですね。
ダイアナ・ロスをモデルにした役をビヨンセが、ベリー・ゴーディをモデルにした役をジェイミー・フォックスが演じています。