みんな絶賛するけど、ビートルズってなにがそんなにスゴイの?
好き・嫌いは抜きにしても、世界一有名だよね。
初心者でも、ギターやコーラスをやる人には特にすごく勉強になるから、ぜひ聴いてみてね。
ビートルズというバンド
最初にお伝えしておくと、ビートルズにはすごい記録や逸話がありすぎて、書ききれないほど。
そこで今回は、入門者が押さえておきたい情報をまとめてみました。
生ける伝説ビートルズとは?
The Beatles(ザ・ビートルズ)は、イギリスで1962年にデビューした4人組ロックバンド。
デビュー直後からその影響力はすさまじく、音楽だけでなく彼らのファッションや言動、思想にいたるまですべてが社会現象に。
わずかな活動期間の間にその音楽スタイルは変化を続け、それはイコール音楽界とリスナーの音楽的成長につながりました。
1970年に解散した後いまもなお、音楽を愛するすべての人に彼らの影響は色濃く残っています。
2人亡くなっていますが、残ったポールとリンゴはバリバリの現役です。
(リンゴはVサインの写真が多い)
5枚目のシングル『I Want To Hold Your Hand』↓↓↓が日本におけるデビュー曲。邦題は『抱きしめたい』ですが、歌詞は「君の手をにぎりたい」という恋する男子のストレートな気持ちを歌っています。
ビートルズをざっくり紹介してみる
つづいて、メンバーや受賞歴などについてご紹介しましょう。
メンバー紹介
晩年に不仲だったのは事実のようですが、それでもメンバーは、デビューから解散までリヴァプール出身のこの4人でした。
名前 | 英語表記 | 誕生日 | 主な担当 |
ジョン・レノン | John Winston Ono Lennon | 1940年10月9日 | ボーカル&ギター |
ポール・マッカートニー | James Paul McCartney | 1942年6月18日 | ベース&ギター |
ジョージ・ハリソン | George Harold Harrison | 1943年2月24日 | リードギター |
リンゴ・スター | Ringo Starr / Richard Starkey | 1940年7月7日 | ドラム |
ジョンとポールがリードボーカルをとっているイメージが強いですが、たとえば『Here Comes The Sun(ヒア・カムズ・ザ・サン)』はジョージ、リンゴも『Yellow Submarine(イエロー・サブマリン)』でリードをとっています。
活動期間
解散して50年経つのに、いまだに世界中に熱狂的なファンを持つビートルズ。
彼らがいなかったら現代のポピュラー系音楽は存在していなかった、と言っても過言ではないでしょう。
ところが、驚くのはその活動期間の短さ。
デビュー曲を発売した1962年10月から、解散発表のあった1970年4月まで、なんとわずか7年7カ月。
たった8年足らずの間に、さまざまな奇跡を起こしてくれたのです。
タイトル・受賞歴
ビートルズが全世界でレコードやCD、カセット、ダウンロードやストリーミングによって売り上げた総数はなんと6億枚を超えています。
当然、いろいろなところから高く評価されていて、代表的なタイトルだけでも↓こんなかんじ。
シングルのヒット曲ばかりを集めたベスト盤。入門編にぴったりです。
ビートルズ誕生までの歴史
活動期間中の歴史は、彼らの残した作品を聴くことで感じてもらうとして、ここではビートルズがデビューするまでの歴史を振り返りたいと思います。
クオリーメン
ビートルズの全身バンド「クオリーメン(The Quarry Men)」は、ジョンが1957年に結成したグループ。
立ち上げから数か月後、共通の友人を通じてポールと知り合ったジョンは、その音楽センスに感激し、彼をメンバーに引き入れます。
さらに翌年には、ポールの紹介でジョージがオーディションを受け、グループに加入しました。
それから、クオーリメンはレコーディングなども進めていましたが、他のメンバーは次々と脱退。
1959年にはジョンとポール、ジョージの3人となってしまいます。
ビートルズ誕生
1960年に、バンドが出演していたクラブ経営者の息子ピート・ベストをドラマーに迎え、この頃バンド名もビートルズに改名。
そして、バンド初のドイツ・ハンブルグ巡業へ。
別のバンドメンバーだったリンゴと出会ったのも、このときでした。
ハンブルグで人気を博しつつあったビートルズですが、11月に若すぎたジョージのビザなし就労がバレて強制送還。
翌月には、今度はポールがボヤ騒ぎを起こして、ドイツから国外退去処分を下されました。
しかし1961年にはオーディションのうえ、初めて地元リヴァプールのキャバーン・クラブに出演し、直後に再びハンブルグへ公演に。
そこでトニー・シェリダンのバック・バンドとして、『My Bonnie(マイ・ボニー)』をはじめとする曲を公式録音する機会に恵まれます。
デビューとリンゴの加入
そんなとき、リヴァプールでレコード店をやっていたブライアン・エプスタインが『My Bonnie(マイ・ボニー)』を買いにきた少年にビートルズの存在を教えられ、彼らを観にキャバーンへ。
マネージャーになる契約を交わします。
そのブライアンの売り込みによって、4人はデッカ・レコードのオーディションを受けるのですが、結果はまさかの不合格。
のちに、EMI傘下のパーロフォン・レーベルと契約しました。
しかし、ここで諸事情からピート・ベストがクビに。
代わりにメンバーは、リンゴをドラマーとして迎え入れました。
ようやく、ファブ・フォー(The Fab Four。fabulous、つまり素晴らしい4人組という意味のビートルズの愛称)がそろったのです。
そして1962年10月5日、ついにビートルズは『Love Me Do(ラヴ・ミー・ドゥ)』でレコードデビューを果たしました。
↓↓↓これがそのデビュー曲。何もかも完成度が高杉。
ビートルズの偉業と彼らを支えた偉人たち
人種も世代も超えて愛されるビートルズ。
若い世代の皆さんも、ビートルズが誰かは知らなくても、テレビのバラエティ番組やCMで耳にしている曲は多いはず。
ビートルズの偉業
管理人ソメイもそうですが、リアルタイムで彼らの活躍を目撃できなかった世代にもわかるくらいの、数々の偉業をご紹介しましょう。
アメリカの人気テレビ番組で視聴率72%
1964年2月ビートルズが初渡米した際、当時アメリカで大人気だったテレビ番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演。
3週連続で出演したのですが、初回はなんと視聴率72%を記録しました。
ビルボードチャートの1~5位までを独占
1964年4月4日付けアメリカの音楽チャート、ビルボードHot 100において、ビートルズが1位から5位までを独占しました。
この記録は、今もなお破られていません。
第1位:Can't Buy Me Love(キャント・バイ・ミー・ラヴ)
第2位:Twist & Shout(ツイスト・アンド・シャウト)
第3位:She Loves You(シー・ラヴズ・ユー)
第4位:I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)
第5位:Please Please Me(プリーズ・プリーズ・ミー)
この日100位以内には、この5曲以外にもビートルズは7曲もチャートインしていたというから、さらに驚きますよね。
世界初のスタジアム・ライヴ
今でこそ当たり前となっていますが、ロックバンドが球場でライヴを行ったのは、ビートルズが世界で初めて。
1965年8月15日にニューヨークのシェイ・スタジアム(2009年2月に取り壊し)でライヴを開催し、55,600人を動員しました。
武道館ライヴもお初
日本武道館で初めて音楽ライヴを行ったのも、ビートルズでした。
1966年6月に来日し、6月30~日~7月2日までの3日間で5公演を開催。
当初は、武道館会長をはじめ反対する大人も多かったようですが、この公演以降、武道館は「ロックの聖地」と呼ばれるようになりました。
前座を務めた日本人アーティストの中に、あのドリフターズがいたのも有名な話ですね。
↓↓↓ビートルズ全盛期に発表された10枚目のシングル。「助けて!」という、ジョンの心からの叫びが込められています。
なお、こうしたPV(プロモーション・ビデオ)を作ったミュージシャンも、ビートルズが初めて。
ビートルズ活躍の裏にいる偉人たち
ビートルズを支えた人や彼らのブレーンや、影響を与え合ったアーティストたちをご紹介します。
ブライアン・エプスタイン
ファンの間で「5人目のビートルズ」と呼ばれる、2代目マネージャー。
27歳のときにビートルズに出会い、成功を直感した彼はすぐにマネジメント契約を取り付けました。
そこから1年以内に彼らをデビューへ導き、その後もイメージ作りや映画界への進出、テレビをはじめとするメディア対応に至るまで優れた手腕を発揮。
ビートルズを世界的スターに育て上げました。
ところが、彼らがライヴ活動をしなくなったあたりから、ブライアンは鬱を発症。
1967年8月27日、アスピリンの過剰摂取により32歳という若さで亡くなっています。
ジョージ・マーティン
ビートルズの裏にこの人あり、の天才プロデューサー。
彼がいなかったら、ビートルズがこんなに売れることはなかったかもしれません。
ビートルズ解散後もジェフ・ベックやチープ・トリック、エルトン・ジョンといった大物たちをプロデュースしています。
ビートルズの音源をCD化する作業や、トリビュートアルバムのプロデュースなども行いました。
2016に90歳で逝去。
ボブ・ディラン
ノーベル賞まで受賞した、伝説のロック・ミュージシャン。
ビートルズとの共演はないものの交流はあったようで、彼らにドラッグを教えたのはボブだと言われています。
エリック・クラプトン
ビートルズのレコーディングに参加した、数少ないミュージシャンのひとりです。
特にジョージとは親交が深くて、1991年には2人で来日公演も行いました。
てゆーかその前に、ジョージの前妻パティ・ボイドと結婚までしています(のちに離婚)。
『いとしのレイラ』は、パティと不倫していたころに書かれた曲。
オノ・ヨーコ
1966年、ジョンは前衛芸術家のヨーコと、彼女の個展で出会います。
2人は急速に接近し、2年後には共作アルバムを発表しますが、2人の全裸ジャケットが問題になったため、すぐに発売禁止に。
結婚して子ども(ショーン・レノン)ももうけてますが、当時は世界中のファンから「ビートルズに亀裂をもたらした女」だと、非難されました。
(背後霊のように張り付くヨーコw)
↓↓↓切ない曲なのにキャーキャーが止まないw
ビートルズの作品
前述したように、ビートルズは活動期間こそ短かったものの、すぐれた楽曲を後世にたくさん残してくれました。
彼らの音楽的な素晴らしさは、作品を聴いてもらえれば説明不要。
アルバム
ビートルズがこの世に残したオリジナル・アルバムは、以前2枚組EPとして数えられていた『マジカル・ミステリー・ツアー』を含め、全部で13枚です。
- Please Please Me(プリーズ・プリーズ・ミー) 1963年3月22日発売
- With The Beatles(ウィズ・ザ・ビートルズ) 1963年11月22日発売
- A Hard Day's Night(ハード・デイズ・ナイト) 1964年7月10日発売
- Beatles For Sale(ビートルズ・フォー・セール) 1964年12月4日発売
- Help!(ヘルプ!) 1965年8月6日発売
- Rubber Soul(ラバー・ソウル) 1965年12月3日発売
- Revolver(リボルバー) 1966年8月5日発売
- Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド) 1967年6月1日発売
- Magical Mystery Tour(マジカル・ミステリー・ツアー) 1967年12月8日発売
- The Beatles(ザ・ビートルズ) 1968年11月22日発売
- Yellow Submarine(イエロー・サブマリン) 1969年1月17日発売
- Abbey Road(アビー・ロード) 1969年9月26日発売
- Let It Be(レット・イット・ビー) 1970年5月8日発売
↓↓↓こちらはカナダのインディーズバンドによるビートルズ・メドレー。時系列で紹介してるので、初心者が「聴いたことあるけど曲名わからない」を解決するのにオススメです。
映画
ビートルズのアイドル的な人気を加速させた理由のひとつが映画で、バンド側から制作された作品は5本。
ブライアンのプロモーションが上手だったんですね。
- A Hard Day's Night(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!) 1964年7月6日公開
- Help!(ヘルプ!4人はアイドル) 1965年7月29日公開
- Magical Mystery Tour(マジカル・ミステリー・ツアー)※テレビ映画 1967年12月26日放送
- Yellow Submarine(イエロー・サブマリン)※アニメ映画 1968年7月17日公開
- Let It Be(レット・イット・ビー) 1970年5月13日公開
これら5作品の他にも、映像制作会社が作ったドキュメンタリー映画や、ビートルズを題材にした作品はいくつも公開されています。
人々の記憶からビートルズがすっぽり消えてしまった世界で、唯一彼らの曲を知る存在となったシンガー・ソングライターの活躍を描くファンタジー映画。物語の後半にあの人が登場する海辺のシーンは必見です。
いまでも根強いファンが多いビートルズって、やっぱりスゴイ!
2023年ver.は赤盤に12曲・青盤には新曲を含む9曲が追加されました。ビートルズファンならずとも一家に1枚(両方2枚組だけどw)ずつ!
↓↓↓最後はこの曲。ビリー・ジョエルのライヴにポールがゲスト出演(でもビリーには歌わせないw)してる最近の映像。お客さんが、みんな一緒に歌っているのもアツい!