デュエットもヒットしたし、日本では何より『Killing Me Softly With His Song(やさしく歌って)』で知られてるね。
成功までの道のり
数々のヒット曲を持つシンガーソングライター、ロバータ・フラック。
まずは、彼女のバイオグラフィーからみてみましょう。
ミュージシャンを両親に持つ才女
ロバータ・フラック(Roberta Cleopatra Flack)は1937年2月10日、ノース・カロライナ州ブラック・マウンテンで誕生しました。
父親がジャズピアニスト、母親は教会のオルガン奏者という音楽一家。
ロバータも9歳の頃から本格的にピアノをはじめ、15歳にして高校を卒業すると、名門ハワード大学へ音楽奨学金を得て入学。
クラシックピアノと声楽を学びます。
そんな大学もわずか3年で卒業したというから、彼女がいかに優秀だったかがわかるでしょう。
そして、卒業後は音楽教師という仕事の傍ら、ワシントンD.C.のナイトクラブで演奏するように。
ほどなくして、となり町からも聴きに来る人がいるほど、彼女のステージは地元で評判となりました。
イーストウッド作品でブレイク
ある日、そんなロバータを観たジャズピアニストのレス・マッキャンが、彼女をアトランティック・レコードに紹介。
3時間で42曲を演奏するという、ライブより長いオーディションの結果、すぐに契約が結ばれました。
そして1969年6月、ロバータはアルバム『First Take(ファースト・テイク)』でレコードデビューを果たします。
ちなみにこれ、トータル10時間でレコーディングしたというから、彼女の演奏力の高さがうかがえますよね。
発売当初こそさほど話題にならなかった本作ですが、収録曲のひとつ『The First Time Ever I Saw Your Face(愛は面影の中に)』が、1971年公開の映画「恐怖のメロディ」の劇中歌に使われたことで一転。
翌年シングルカットされ、ビルボード年間チャートで1位を記録。
第15回グラミー賞では、最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞を受賞しました。
たまたまカーラジオで、『The First Time Ever I Saw Your Face』を聴いた彼が、直接ロバータに電話して使用許可をお願いしたんだとか。
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ロバータ・フラックの代表曲
ロバータ・フラックは、グラミー賞の最優秀レコード賞を、2年連続で受賞した最初のミュージシャンです。
R&Bはもちろん、ジャズやポップなど幅広いジャンルの音楽ファンから広く支持される、彼女の代表作をご紹介します。
Killing Me Softly With His Song
20世紀を代表する楽曲のひとつ、『Killing Me Softly With His Song (やさしく歌って)』。
全米1位の大ヒットとなり、この曲で彼女はグラミー賞の最優秀レコード賞、最優秀楽曲、最優秀女性ボーカルという三部門を獲得しています。
この曲を、ロバータ・フラックの最高傑作と称する専門家は少なくありませんが、実は歌詞の原案も書いているロリ・リバーマンがオリジナルです。
しかし、1973年1月にロバータ盤が発売されたことで一気に誰もが知る曲となり、世界的にも圧倒的にロバータのイメージで定着。
以来、世代を超えて愛されていて、たくさんのミュージシャンにカバーされてきました。
中でも1996年のフージーズによる、ヒップホップ・バージョンが有名。
『Killing Me Softly With His Song』↓↓↓が収録されているアルバムは、『Killing Me Softly』。まぎらわしい(汗)
Feel Like Makin' Love
1974年6月リリースの『Feel Like Makin' Love(愛のためいき)』も、『Killing Me Softly~』と並ぶロバータの代表曲です。
彼女のお育ちの良さからか下品な響きはありませんが、歌詞はセクシー路線。
こんな時やあんな時…いろんな場面で「やりたくなっちゃう♡」と歌ってます。
そのせいか、日本では『Killing Me Softly~』に比べてやや知名度が下がりますが、ミュージシャンや音楽ファンの間ではスタンダードです。
こちらも数多くのミュージシャンにカバーされていて、ジョージ・ベンソンやディアンジェロ、インストでボブ・ジェームスなど、名作ぞろい。
本家越えの呼び声も高いのが、マリーナ・ショウのバージョン↓↓↓ロバータの直後にリリースされました。
デュエットの名手
ロバータ・フラックは、上の2曲に代表されるソロ・キャリアだけでなく、デュエット曲でもたくさんの名曲を残しました。
ダニー・ハサウェイと
ロバータのデュエットといえば、やっぱり最初にタッグを組んだ友人ダニー・ハサウェイが、いちばん印象的でしょう。
1972年発売のアルバム『Roberta Flack&Donny Hathaway(ロバータ・フラック&ダニー・ハサウェイ)』からは『Where Is the Love(恋人は何処に)』、1978年の『Blue Lights in the Basement(愛の世界)』からは『The Closer I Get to You(私の気持ち)』が、それぞれ100万枚以上を売り上げる大ヒットに。
ピーボ・ブライソンと
ダニー亡き後、ロバータの新たなデュエット・パートナーになったのが、彼女と並ぶデュエット名人ピーボ・ブライソンでした。
1983年にリリースしたデュエット・アルバム『Born to Love(愛に生きて)』から、シングルカットした『Tonight, I Celebrate My Love(愛のセレブレーション)』がスマッシュ・ヒット。
日本の大人たちには、「ルミ子とケンヤが結婚式で踊った曲」として知られていますw
マキシ・プリーストと
当時、低迷期にあったロバータは1991年に、アルバム『Set the Night to Music(ナイト・トゥ・ミュージック)』を発表。
そこからシングルカットされたのが、人気レゲエ・ミュージシャンのマキシ・プリーストをフィーチャーしたタイトル曲、『Set the Night to Music(ナイト・トゥ・ミュージック)』でした。
この曲で彼女は、13年ぶりの全米トップ10入りを果たしています。
私生活と近況
最後に、ロバータ・フラックの私生活と近年の活動についてお伝えします。
私生活
イーストウッド映画をきっかけにブレイクしたロバータですが、実は当時すでに結婚していました。
ダンナさんは、ジャズベーシストのスティーヴ・ノボセル。
1972年に離婚しています。
2人の間に実の子はいなかったようですが、ロバータはある男の子の代母(godmother)になりました。
彼の名はバーナード・ライト。
ファンク/ジャズキーボーディストとして、ボビー・ブラウンやマイルス・デイビスなど、数々のアーティストのレコーディングに参加しました。
自伝絵本を出版
2023年1月10日、ロバータはかねてからの願いであった絵本を出版しました。
タイトルは、「The Green Piano: How Little Me Found Music」。
直訳すると「グリーンのピアノ:子供だった私が音楽を見つけた方法」ですね。
トーニャ・ボールデンという人との共著で、幼い頃ノース・カロライナで過ごした彼女の自伝的な作品。
自分のピアノが欲しかったロバータに、ある日パパが廃品置き場にあったピアノを持ち帰ってきます。
パパはそれをきれいに掃除してチューニングし直し、緑色に塗ってプレゼントしてくれた、というストーリー。
ヘイデン・グッドマンのイラストがまたステキで、ほっこりしたお話をさらにあたたかく引き立てています。
ファンのみならず、お子さんの英語学習にもよき↓↓↓
難病ALSを発症
恵まれない学生に無償で音楽教育を提供する学校の設立や、動物の虐待防止協会の広報をはじめ、ロバータはさまざまな社会貢献も行っています。
2020年のグラミー賞では、特別功労賞生涯業績賞を授与されました。
2022年11月には、彼女のキャリアを追ったドキュメンタリー『American Masters: Roberta Flack』が、DOC NYC映画祭で初上映。
翌1月に、公共放送にて全米で放送されました。
ところが、晩年のさらなる活躍が期待された矢先、ショッキングなニュースが。
ロバータがALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、歌うことはおろか、話すことすらままならないというじゃありませんか!
しかし、ロバータの広報担当は「彼女を黙らせるには、ALSよりはるかに長い時間が必要」とも話しているので、ロバータが気持ち的には精力的であることに変わりはなさそうです。
入門者にはベスト盤もあるよ↓↓↓