兄妹ってことと、拒食症ってことは知ってる。
あと、確か…妹が兄に恋してたって聞いたような。
兄妹の生い立ち
カーペンターズといえば70年代を代表する音楽ですが、現在でも多くの日本人に愛されるミュージシャン。
リチャードのアレンジが生きるキャッチーな楽曲と、カレンの唯一無二のエモい歌声で数々のヒットを飛ばした兄妹の、まずは生い立ちから見ていきましょう。
兄はピアノ、妹は野球?!
兄リチャード・カーペンター(Richard Lynn Carpenter)は1946年10月15日、妹カレン・カーペンター(Karen Anne Carpenter)は1950年3月2日、どちらもコネチカット州ニュー・ヘイヴンに生まれました。
工場勤務の父ハロルドと専業主婦の母アグネスは、メソジスト派の信者で、兄妹二人も洗礼を受けています。
また、音楽好きだったハロルドは多くのレコードを持っていたので、兄妹たちはコレクションのある地下室で年じゅう音楽を聴いて育ちました。
両親とも表立った愛情表現をするタイプではなかったようですが、父は子供たちが音楽を聴きながら遊べるようにと、地下室にブランコを設置してくれてたそうです。
その影響からかリチャードは4歳からアコーディオン、9歳からピアノを弾き始め、12歳でエール大学のミュージック・スクールに通い、16歳のころには初レコーディングも経験。
一方のカレンは、野球やソフトボールをするのが好きという、活発な子でした。
ドラムとの出会い
リチャードの音楽的才能に気づいた両親は、息子の音楽活動のために移住を決意。
1963年、一家はカリフォルニア州ロサンゼルス郊外に引っ越しました。
翌年には、リチャードはカリフォルニア州立大学ロングビーチ校へ音楽専攻で入学。
そんな優秀な兄の隣で委縮しがちだったカレンも、高校の単位取得のために入ったマーチングバンドでドラムを始め、いよいよ才能が開花。
兄を含めた周囲が驚くほどの、リズム感とフィルセンスを見せたのです。
まもなく両親からドラムセットを買ってもらうのですが、この頃すでにプロ並みの腕前だったといいます。
カレンが優れたドラマーであることが垣間見える貴重な映像↓↓↓
スタートはトリオだった?!
兄妹は1965年、ジャズトリオ「リチャード・カーペンター・トリオ」を結成。
ピアノがリチャードでカレンはドラム、ベース&チューバがリチャードの大学の友人ウェス・ジェイコブス、という編成でした。
翌年3人は、ハリウッド・ボウル(野外音楽堂)で毎年行われていたコンテスト「バトル・オブ・ザ・バンド」に出場し、みごと優勝。
RCAレコードとの契約にこぎつけました。
ところが、重役会でデモ・テープを酷評されて、すぐに契約を解除されてしまいます。
デビューまで長いミュージシャンは、実力が高い!!ライブでも安定のパフォーマンス力を発揮する2人↓↓↓
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カーペンターズとして
ロック至上主義だった時代背景もあって、デビュー当時から本国アメリカでは、優等生的でちょっと古臭いみたいな扱いを受けている印象のカーペンターズ。
とはいえ、スタンダードとして高く評価されているのも確かで、彼らの楽曲はルーサー・ヴァンドロスやソニック・ユースをはじめ、多くのアーティストにカバーされています。
ここからは、そんな彼らの成功と衰退を追ってみましょう。
明るみになったカレンの才能
ある日ベーシスト、ジョン・オズボーンのスタジオで行われたセッションに参加することになったリチャード。
それに同行していたカレンの歌声に驚いたオズボーンは、自身のレーベルにカレンをソロ・アーティストとして迎え入れることに。
リチャードが作曲してシングルを発表しますが、ローカル・レーベルということもあってか、鳴かず飛ばず…。
ちなみに、レーベル自体も閉鎖されてしまいますが、オズボーンはその後も兄妹をサポートし続けた恩人です。
それから2人は、「サマーチャイムズ」「スペクトラム」といったグループ活動を経て、最終的には兄妹だけでやっていくことを決意。
1969年にようやく、デモ・テープがA&Mレコードの創設者ハーブ・アルパートの耳に止まり、『Ticket To Ride(涙の乗車券)』でシングル・デビューを飾りました。
そんなデビュー曲↓↓↓完成度の高い名カバーなのです。
こっちがオリジナル↓↓↓カーペンターズver.とはまったくの別物って感じで、甲乙つけがたし。
スターダムへ
ビートルズの人気曲をバラード風にアレンジした彼らのデビュー曲は、ビルボードで最高54位という、そこそこの成績で終わりました。
しかし、2人の快進撃はこの直後からです。
翌年にリリースしたセカンド・シングル『Close To You(遥かなる影)』で、4週連続1位を獲得。
ほどなくして、2人はライブツアーにテレビ出演にと大忙しに。
一気に、70年代を代表するスターの仲間入りを果たします。
『Superstar(スーパースター)』、『Yesterday Once More(イエスタデイ・ワンス・モア)』、『Top Of The World(トップ・オブ・ザ・ワールド)』をはじめとする、たくさんの曲をヒットさせました。
カーペンターズをスターダムに押し上げた曲↓↓↓この2人って、やっぱクリソツですね。
兄は睡眠障害、妹は摂食障害
クリーンなイメージがウケていたカーペンターズですが、舞台裏の2人はさまざまな苦しみを抱えていました。
カレンが精神的な病ともいえる、拒食症を患っていたのは有名な話。
しかし、問題はリチャードの方にも。
売れっ子だからこそのハードスケジュールにより、彼は睡眠障害を抱えるようになり、睡眠薬が手放せなくなりました。
その量は増える一方で、まともに食事を摂らずに薬ばかり飲む毎日。
ひと晩に25錠も飲むようになったころには体重が10kg以上減り、演奏もままならい状態にまで悪化していました。
カレンが亡くなる前からカーペンターズが活動を休止した原因は、彼女の拒食症ではなく、リチャードの薬物中毒だったのです。
家族の方の意味にするためには、アニメ「ザ・シンプソンズ(The Simpsons)」みたいに、「The」を付けるのが通常なんだ。
カレンの苦悩
カーペンターズの魅力といえば、真っ先に思いつくのはカレンが放つ独特のアルトボーカルでしょう。
張り上げない上品な発声と、英語を勉強中の学生さんにオススメしたい丁寧な発音、媚びないけどあたたかな響きがあって、よく聴くと影のような切なさも感じさせる…とにかく稀有な歌声。
そんなギフトを持つ彼女には、早世するまでにどんな苦悩があったのでしょうか?
ぽっちゃりした妹
スターの仲間入りを果たしたリチャードとカレンの2人に、世間は楽曲だけでなく、キャラクターや立ち振る舞いまでも「清廉潔白」さを求めました。
すると中には意地悪な見方をする人も出てくるもので、あるときサンディエゴ新聞という地方紙が、カレンの高校時代の写真を「chubby sister(ぽっちゃりした妹)」と題して掲載。
昔から体形にコンプレックスがあった彼女は、リチャードからも「少し太った?」と言われたこともあって、ダイエット熱に火が付きます。
ハードな運動だけでは気が収まらず、やがて、食べたものを下剤などの薬を使って排出するように。
結局カレンは7年間も拒食症に苦しみましたが、この病気が世間に認知される前の出来事なので、周囲の理解が得られず対応が遅れたのも不運でした。
165cmという身長から考えて、これが相当低い数値だったということは誰の目にも明らかだよね。
カレンに厳しい母と兄
兄妹の母アグネスは古いタイプの女性で、娘に対しても「女は主婦になるのが一番」と考えていたようです。
しかも、小さい頃からリチャードを可愛がっていたので、カレンがドラマーになるときやソロでレコードデビューする話が来たときにも猛反対。
その後も生涯、娘の才能を認めることはなかったといいます。
この「音楽の才能があるのは息子の方なのに!」という考えは母だけでなく、実はリチャードにも。
カーペンターズとして成功をおさめた後、1980年にカレンのソロ・アルバムが制作されましたが、注目される妹への嫉妬からリチャードが難色を示したため、企画は中止。
しかも、なぜかカレンは50万ドル以上の制作費を請求されたのだから、相当なストレスになったことでしょう。
このアルバムは結局、彼女の死後までリリースされませんでした。
あのジョン・レノンやマイケル・ジャクソンが絶賛したカレンの歌声も、母や兄からは嫉妬の種だったのです。
あの噂の真相
「カレンはリチャードに恋愛感情を持っていた」
「カレンとリチャードは極秘に結婚していた」
そんな説を聞いたことがある人は、少なくないかもしれません。
しかし、これらの話には証拠がなく、その昔まことしやかに囁かれていたただの噂ばなしのようです。
リチャードは、子供のころから大人たちに音楽的才能を見出され、期待のまなざしを向けられることに慣れていました。
一方のカレンは音楽は好きでも、フロントとして人前に立つことを望まない謙虚なタイプ。
ところが、彼女の才能を周りが放っておくはずもなく、神童扱いされていた兄よりも前面に押し出される形に。
さらに、イメージとちょっとかけ離れますが、実のところリチャードは時に感情的になることがあったようです。
前述のカレンのソロ・プロジェクトが流れた話ひとつを取っても、兄に主導権があったことは明白。
つまり、カレンは「兄を好きすぎて」ではなく、「兄に気を遣いながら注目を浴び続けるストレスで」精神的に追い込まれた、というのが実際のところでしょう。
もちろん、兄妹としての情や絆は、よそのどんな家族よりも深かったかもしれませんが。
いろんな背景を知らなくても、胸を打たれる歌唱↓↓↓当時の彼女は、何を思ってこの曲を歌っていたのでしょうか?
兄弟の私生活
最後に、2人のプライベートについて。
リチャードが睡眠薬中毒の入院治療を受けることになった際、兄妹は初めてそれぞれ独立した生活を送ります。
そんな中カレンが知り合ったのが、9歳年上の不動産実業家トム・バリス。
1980年に電撃結婚の運びとなりますが、前の結婚ですでに18歳の息子がいるトムとの結婚に、彼女の友人たちはみんな心配していたようです。
その不安はみごと的中。
母の教えにより専業主婦願望の強かったカレンでしたが、出会う前すでにパイプカット済みだったトムとは、子供が望めませんでした。
しかも、財産目当ての彼はカレンにそれを隠したまま結婚。
そんな相手だったので、結婚生活はわずか14か月で破綻しました。
一方のリチャードも、カレンが亡くなった翌年1984年に結婚しています。
お相手は、11歳年下のいとこメアリー・ルドルフ。
そして、4人の娘と1人の息子を持つ、ビッグダディになりました。
80歳近くなった今でも、チャリティーコンサートや奨学金コンサートなど、パワフルに音楽活動を続けています。