イギリス音楽界のディーバ(歌姫)なんて呼ばれてたような…。
今回は世代をまたいで活躍を続ける、サー・エルトン・ジョンを紹介するよ。
エルトン・ジョンができるまで
エルトン・ジョンといえば、1968年のデビューから現在に至るまで、全世界で3億枚以上のレコードセールスを誇るトップアーティスト。
リスペクトを込めて「Sir」(イギリスの栄誉賞号)と呼ばれる彼ですが、その長いアーティスト人生にはさまざまな紆余曲折がありました。
生い立ち
エルトン・ジョン(Sir Elton Hercules John)は1947年3月25日、ロンドン郊外のミドルセックス州に生まれました。
出生時の名前は、レジナルド・ケネス・ドワイト(Reginald Kenneth Dwight)。
(母シェイラ・ドワイトと)
“レジー”少年がピアノを弾き始めたのは、4歳のころ。
一度耳にしたメロディーをすぐに再現して弾く彼は、当時から周囲に「神童」と呼ばれていたそうです。
11歳のころには王立音楽院の奨学生となり、6年にわたって本格的にピアノを学ぶことに。
ところが、レジーはバッハやショパンの曲を弾くのが得意だった一方で、エルヴィス・プレスリーやバディ・ホリーなどの現代アーティストの音楽にどんどんのめりこんで行ったのでした。
両親との関係
2015年にオックスフォード大学でスピーチした際に、エルトンは
「父から愛していると言われたことはない。
抱きしめてもらえなかったし、演奏を観てもらったことも1度もない。」
と、厳格だった父親との生前の悲しい関係について言及。
一方で母親も、映画「ロケットマン」の中で描かれたように息子に対する愛情が薄い人物らしく、実際母子の間には確執があったようです。
そんな、両親から十分に愛情を受けられなかったどころか、アイデンティティを否定されるという逆境で、天才エルトンは育ちました。
バーニーとの出会い
両親が離婚した15歳のころには、学校に通いながら、週末の夜になるとホテルでピアノ演奏のアルバイトをしていたレジー。
やがて友人とブルースバンドを結成し、アメリカのソウル・ミュージシャンのバックバンドとして、ツアーに同行するように。
そんなある日、彼はリバティ・レコードの
「求む・才能!アーティスト、コンポーザー、シンガー、ミュージシャン!」
という広告を目にしました。
もちろん応募しましたが、結果はまさかの不合格。
しかし、このときリバティ・レコードのスタッフから、作詞家志望として応募のあった"ある人物"の詞を紹介されます。
それが最強タッグ、バーニー・トーピンとの運命の出会いでした。
2人はのちに、『Your Song(君の歌は僕の歌)』や『Rocket Man(ロケットマン)』、『Goodbye Yellow Brick Road(黄昏のレンガ路)』をはじめ、数えきれないほどの名曲を共作してこの世に送り出したのです。
恋人でも兄弟でもあるような友人で、かつ才能を認め合う仕事のパートナー…
お互いに複雑な感情が背景にあったからこそ、エモい名曲をいくつも共作することができたんだろうね。
エルトン・ジョンを知らずとも、この曲なら誰もが1度は耳にしたことがあるはず。エルトン&バーニーの神曲↓↓↓
サーの称号
バーニーとの出会いから半年後、自身の名前を単独捺印証書によって「エルトン・ジョン」と改名。
由来はかつてのバンドメンバー、サックス奏者エルトン・ディーンとR&Bシンガーのロング・ジョン・ボールドリーちなんで。
それまでは、バーニーとの制作チームとしての音楽活動が主でしたが、1969年にはエルトン・ジョン名義でソロデビューを果たし、スターへの階段を駆け上がりました。
また名前といえば1998年、エリザベス女王が長年の功績をたたえ、エルトンに大英帝国勲章を授与。
現代音楽のミュージシャンとしては3人目となる、「ナイト(勲爵士)」の称号を得ました。
そのため、エルトンは一般的な男性を呼ぶときの「Mr.」とは違い、「Sir(卿)」という敬称を付けて呼ばれています。
ただし、それらに目が行かないほどド派手な衣装やパフォーマンスでもファンを楽しませてくれるのが、彼のスタイルだよね。
トレードマークの由来も振り切ってるわぁw
輝かしい実績
若い世代のみなさんには、ここ数年のセールスの印象が強いかもしれませんが、エルトンは今日まで長年にわたって、輝かしいキャリアを築いてきました。
そんなすばらしい実績の数々について、ご紹介しておきましょう。
黄金期を築いた70年代の活躍
エルトン・ジョンの名を世に知らしめた『Your Song(君の歌は僕の歌)』のヒットが、1971年1月。
ここから、エルトンの快進撃がスタートします。
1972~75年までに、発表した7枚のアルバムを連続してビルボード1位に送り込むという偉業を達成。
中でも、1974年リリースのベスト盤『Greatest Hits(グレイテスト・ヒッツ)』は、アメリカだけでも1,300万枚の売り上げを記録する大ヒットに。
さらに、1975年発表の『Captain Fantastic & the Brown Dirt Cowboy(キャプテン・ファンタスティック)』は、アルバム・チャートにおいて初めて「初登場1位」を獲得した作品として、歴史に刻まれました。
また、当時1年間に3枚のシングルをNo.1ヒットさせたのは、10年前のビートルズ以来の快挙です。
力強いパフォーマンスに心躍らされます。ほんでやっぱ衣装も独特w↓↓↓
ディズニー映画やブロードウェイにも進出
70年代ほどではないとはいえ、80年代にもヒット作を出し続けていました。
が、精神的に不安定になることの多かったエルトンは、その後1990年には薬物とアルコール依存症、過食症の治療のため入院することに。
更生施設のお世話になった時期を経て、1994年には作詞家ティム・ライスと共にディズニー映画『ライオン・キング』の音楽を担当。
サントラは全米1位を記録し、主題歌『Can You Feel the Love Tonight(愛を感じて)』でグラミー賞とアカデミー賞にも輝きました。
さらにその後、ライオン・キングはミュージカルとしてブロードウェイやロンドンで上演され、ティム・ライスとはオペラ『アイーダ』のミュージカルバージョンも共作。
ブロードウェイの人気を独占しました。
近年のヒット
昔から働き者のエルトンですが、2000年代以降もその創作意欲は衰えていません。
特に2021年には、デュア・リパとのコラボ曲『Cold Heart (コールド・ハート)』で、16年ぶりに全英シングル・チャート1位に。
この曲を含むアルバム『The Lockdown Sessions(ロックダウン・セッションズ)』でも、およそ10年ぶりの全英アルバム・チャート1位を獲得しています。
このヒットを受けてエルトンは、1970~2020年代という過去60年代のすべての年代において、シングル曲を全英チャートTOP10入りさせた初のアーティストとして認定されました。
PNAUのリミックスが秀逸なのはもちろん、シュールでエキセントリックなMVもクセになるイチオシ曲↓↓↓往年のファンにも聴いてほしい!
数年前には、本人役でヒット映画にも出演しています。主演のタロン・エガートンとはこの頃からの縁ですね。
プライベート
ここからは長年第一線で活躍するスター、エルトンのプライベートを覗いてみましょう。
華麗なる交友関係
天才は天才を呼ぶ…エルトンも昔から数々の大物たちと交友があります。
ほんの一部のエピソードをご紹介。
ジョン・レノン
エルトンが全米デビューしたころから注目していたというビートルズ。
中でもジョン・レノンとは特に気が合ったようで、のちに息子(ショーン・レノン)の名付け親にもなったほど。
1974年、ジョンのアルバム『Walls and Bridges(心の壁、愛の橋)』にエルトンが参加した際の“賭け”の結果、マジソン・スクエア・ガーデンでのライブにジョンがゲスト出演することに。
図らずもこのステージが、ジョンのパフォーマンスを拝む最後のチャンスとなってしまいました。
そんな伝説のNYライブと、その半年前に行われたロンドンでのライブが聴ける豪華2枚組↓↓↓
ビリー・ジョエル
「2大ピアノマン」と呼ばれる、エルトンとビリー・ジョエル。
ギタリストに注目が集まりがちなロック界において、2人が確立した「ピアノ・ロック」は後世に多大なる影響を与えました。
90年代からはエルトンとビリーによるジョイントツアーも行われていて、東京公演もありました。
お二人が元気なうちに、もう1回くらい世界を回ってもらいたいものですね。
ダイアナ妃
1997年8月に急逝したダイアナ妃とも生前、親交があったというエルトン。
葬儀では、彼女のお気に入りだったという『Candle In The Wind(風の中の火のように)』を演奏しました。
この曲はもともと1973年のアルバム『Goodbye Yellow Brick Road(邦題:黄昏のレンガ路)』の収録曲で、翌年シングルリリースされています。
オリジナル版はマリリン・モンローを題材にしていますが、バーニー・トーピンが詩を書き替えチャリティー用に再発。
3,500万枚以上を売り上げました。
1997年のダイアナ・バージョンの『Candle In The Wind』↓↓↓
結婚
70年代から、自分がバイセクシュアルであることをカミングアウトしていたエルトンですが、1984年には最初の結婚をしています。
お相手は、レコーディング・エンジニアをしていたドイツ人女性、レネーテ・ブリューエル。
しかし、女性との結婚に違和感があったのか、この頃から精神的に不安定になり過食症やアルコールの過剰摂取が加速。
わずか4年の結婚生活となりました。
エルトンはのちに
「僕はただ良い夫になりたかったが、本当の自分を否定していたために、妻を悲しませてしまった。
そして、自分自身にもこの上ない罪悪感と後悔をもたらした。」
とコメントしています。
そして、2度目の結婚のお相手が現在の夫、カナダ出身の映画監督でプロデューサーのデヴィッド・ファーニッシュ。
同性婚に関する法改正があった2005年に、シヴィル・パートナーシップ(準婚)を結び、2014年にはさらなる法改正により、正式な婚姻届けを提出することができました。
新しい家族
エルトンとデヴィッドの間には、なんと子供も。
代理母を通じて2010年に長男ザッカリー、2013年に次男イライジャをもうけています。
ちなみに、2人とも名付け親はあのレディー・ガガ。
息子たち2人の代理母は同じ女性とのことですが、精子提供者がエルトンかデヴィッドなのかは明かされていません。
ともあれ、戸籍上はディッドが夫・エルトンが妻になっているというご夫妻。
現在は、そこに2人のカワイイ息子たちが加わった4人家族になりました。
「叫んだり、泣きわめいたり、かんしゃくを起こされたり…
子供を育てることになったら、きっと耐えられないだろうと思ってたことのすべてがまったく気にならないってわかったんだ。
むしろそういうのが楽しいくらい。」
と、エルトンもすっかり“ママ業”の幸せを味わっているようです。
だからこそ彼はLGBT支援にも積極的だし、さまざまなチャリティー活動にも力を入れてるんだ。
中でもHIVに対しては「エルトン・ジョン・エイズ基金」を設立して、多額の寄付をしてるよ。
栄光と孤独、同性愛の苦悩などエルトンの半生すべてが詰まった伝記映画『ロケットマン』。タロン・エガートンが好演↓↓↓