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天才ミュージシャン&名曲

"ファンクの女王"チャカ・カーンのEveryWomanな半世紀

Chaka Khan Facebook→https://www.facebook.com/chakakhan/

 

さくらだくん
さくらだくん
「キング・オブ・ファンク」といえばJBだけど、「クイーン・オブ・ファンク」って呼ばれる女性アーティストもいるの?
ソメイP
ソメイP
うん、ファンクの女王ならチャカ・カーンのことだね。
これまでのレコードの累計売上枚数は、世界中でおよそ7,000万枚。
50年以上も音楽界の第一線で活躍してるってだけでなく、俳優とか作家とか、他にもいろんな顔を持つスゴイ人なんだ。
さくらだくん
さくらだくん
おふ。
まさに『I’m Every Woman(私はすべてを兼ね備えた女)』だね!

 

 

 

チャカ・カーンの歩み

チャカ・カーンの魅力といえば、パワフルな歌声とボリューミーな巻き髪、そしてそれらをたずさえたカリスマ感あふれるステージング。

ファンクの女王は時代を超越ちょうえつし、今なお強い輝きを放っています。

 

スター誕生まで

チャカ・カーン(Chaka Khan / Yvette Marie Stevens)は、1953年3月23日にイリノイ州シカゴに、5人兄弟の長女として生まれました。

彼女の最初のキャリアは11歳のころ。

妹のイヴォンヌ(後にタカ・ブーンとして知られるアーティスト)を含む少女たちと結成した「ザ・クリスタレッツ」で、レコードもリリースしています。

しかし、グループは鳴かず飛ばずでまもなく解散

 

姉妹は、再び別のガールズ・グループ「シェーズ・オブ・ブラック」を結成して、地元でのライブを中心とした活動を続けました。

が、残念ながらこれもブレイクにはいたらず…。

(右下がチャカでその上が妹)

 

そこで姉妹は一大決心。

音楽活動に専念するために高校を中退します。

そして、いくつかのバンド経験を重ねたチャカが出会ったのが、ファンクバンド「ルーファス(Rufus)」でした。

 

 

さくらだくん
さくらだくん
日本では「チャカ・カーン」だけど、アメリカ人はみんな「シャカ・カーン」って呼ぶよね。
にしてもめずらしい名前。
ソメイP
ソメイP
英語読みだとそうなるからね。
ヨルバ語(アフリカ)で「火の女」って意味らしいよ。
司祭につけてもらった「チャカ・アドゥンネ・アドゥフ・ホダリ・カリフィ」っていう名前と、旧姓を合わせたんだって。
さくらだくん
さくらだくん
チャカ・アドゥンネ・アドゥ…ん~長い!!
「カーン」にしてくれて良かったよ。

 

 

ルーファス時代

メンバー交代やチャカの加入によって生まれ変わった新生ルーファスは、1973年にABCレコードより1stアルバム『Rufus(ルーファス)』をリリース。

大成功とはいきませんでしたが、あのスティーヴィー・ワンダーの目にとまったことで、バンドの運命が大きく変わりました。

 

翌年、スティーヴィーが彼らに書いた『Tell Me Something Good(テル・ミー・サムシング・グッド)』が、ビルボードHot100で3位に。

グループに初めてのグラミー賞をもたらしました。

さらに、この曲を収めた2ndアルバム『Rags to Rufus(ラグス・トゥ・ルーファス)』も、100万枚以上を売り上げる大ヒットとなったのです。

「ルーファスfeat.チャカ・カーン」、そして「ルーファス&チャカ・カーン」と改名したルーファスは、その後も『Once You Get Started(愛の炎)』『Ain't Nobody(エイント・ノーバディ)』をはじめ、数々の名曲を残しました。

 

 

初ヒット『Tell Me Something Good』↓↓↓チャカがルーファスとして出演したソウル・トレイン。若い!細い!

 

 

ソロでも大成功

1983年のルーファス解散より以前から、チャカはソロ・アーティストとしても活動を始めていました。

ワーナーからデビュー・アルバム『Chaka(恋するチャカ)』をリリースしたのは、1978年。

アシュフォード&シンプソン夫妻が提供したシングル『I'm Every Woman(アイム・エブリ・ウーマン)』のヒットもあって、100万枚以上を売り上げました。

娘と写ったジャケットの2ndアルバム『Naughty(じゃじゃ馬馴らし)』、ジャズの名曲『チュニジアの夜』のチャカver.が入った3rdアルバム『What Cha' Gonna Do for Me(恋のハプニング)』と、続く作品も大ヒット。

 

しかし、彼女のソロ・キャリアを決定づけたのは、1984年リリースの6thアルバム『I Feel for You(フィール・フォー・ユー)』でしょう。

冒頭のラップが耳に残るタイトルトラックや、巨匠きょしょうデヴィット・フォスター傑作けっさくバラード『Through The Fire(スルー・ザ・ファイアー)』など、彼女の代表曲が入った名盤です。

 

 

ホイットニーもカバーしてた『I'm Every Woman』↓↓↓クレジットされてないけど、当時この曲のコーラスに若いホイットニーが参加してたってウワサも。

 

 

近年の活動

チャカ・カーンの黄金期といえば、70年代後半~80年代という印象ですが、とはいえ彼女は今もバリバリの現役です。

90年代以降は、レイ・チャールズメアリー・J・ブライジとコラボしたり、ジャズ・シンガーとして活動したり。

プリンスのレコードレーベルに在籍していたこともありました。

2000年以降も、アルバムやシングルのリリースを続けています。

 

しかし、ビックリするのがテレビ番組への出演。

音楽番組やドキュメンタリーならわかるのですが、ここ最近で目立つのがバラエティ色の強い企画なのです。

たとえば、チャカが2015年に出たBBC放送の「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」は、有名人が社交ダンス(!)の勝ち抜きをするリアリティ番組。

2019年には、アマプラ日本版でもお馴染なじ「ザ・マスクド・シンガー」に出演し、そのシーズンの3話目でマスクを外されました(!)

 

 

さくらだくん
さくらだくん
日本の大御所おおごしょ歌手にもありがちだけど、スターは晩年こそ安売りしないでもらいたいよね…(苦笑)。

 

新旧ファンがうなった最新オリジナル・アルバムは、2019年のコレ↓↓↓

 

 

 

輝かしいキャリア

R&Bやファンクをはじめ、ソウル、ジャズ、ポップス、ロック、ゴスペル、アフリカン、クラシック…どんなジャンルの楽曲でも歌いこなす天才、チャカ・カーン。

つづいて、半世紀にわたる彼女の輝かしいキャリアをご紹介しましょう。

 

 

受賞歴

長年活躍を続けるだけあって、チャカ・カーンはこれまでたくさんの賞を授与されてきました。

●グラミー賞受賞 10回(ルーファス時代を含む)
●ソウル・トレイン・アワード受賞 2回
●ウォーク・オブ・フェイム 2,440 番目の獲得

 

これ以外にも彼女は数々の賞へのノミネートや、通っていた高校があった道路に自身の名前が付けられたり、バークリー音楽大学で名誉音楽博士号を授与されたり、多方面からリスペクトされています。

いまだ現役なので、この先まだまだ受賞歴が増えることでしょう。

 

 

さまざまな顔

パワフルな彼女は、ミュージシャンとしてだけでなく多方面に活躍しています。

 

女優

チャカが映画『The Blues Brothers(ブルース・ブラザーズ)』に、ほんの一瞬出演していることは別のページでもお伝えしてきましたが、彼女にはもっとガチの演技経験も。

90年代ロンドンにいた頃には、有名ミュージカル『Mama, I Want to Sing(ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング)』にシスター・キャリー役で出演。

2008年には黒人の苦難を描いた人気ミュージカル『The Color Purple(カラー・パープル)』でソフィア役として、ブロードウェイの大舞台も踏んでいます。

 

 

作家

彼女はまた、作家としての顔も持っています。

自伝「Chaka! Through the Fire(チャカ!スルー・ザ・ファイアー)」を、2003年に出版しました。

その中で彼女は、自身のキャリアと長年の薬物乱用について詳しく告白しています。

 

活動家

売れっ子ミュージシャンとして忙しいチャカですが、慈善活動じぜんかつどうのためにも時間をいてきました。

1999 年には、危険にさらされている女性と子供たちのためにチャカ・カーン財団を設立。

その姿勢が高く評価され、2012年にはマクドナルド・コーポレーションの「365ブラック・アワード」(黒人コミュニティに貢献こうけんした個人をたたえる賞)を授与されています。

 

起業家

チャカ・カーンにはさらに、起業家という顔も。

2004年には、自身の名前をモジった高級チョコレートブランド「Chakalates(チャカレート)」を立ち上げ、百貨店チェーンのニーマン・マーカス20店舗で販売しました。

また、「Khana Sutra(カーナ・スートラ)」というフレグランスも発売していて、香水やキャンドル、ルームスプレーなど、さまざまな商品が展開されています。

 

 

おまけに、チャカにはドラマー/パーカショニストという顔も。ほんっとデキる子↓↓↓

 

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プライベート

チャカ・カーンの家系は、彼女以降ちょっとした芸能一家です。

ところがプライベートが一筋縄ひとすじなわでいかないのが、スターのお約束。

 

 

妹と弟

チャカは3人の妹と1人の弟がいる、5人きょうだいのお姉さん。

 

1つ下の妹イヴォンヌとは、若い頃いっしょに歌手活動をしていたことは前述のとおりです。

彼女もその後、姉ほどではないものの一流のプロ歌手。

チャカのバックコーラスをしたり、「タカ・ブーン」と名乗りレコードデビューも果たしています。

姉妹はかなり仲良しのようで、数年前には2人そろって処方薬中毒のリハビリに参加していた時期も(笑)。

また、弟のマーク・スティーブンスも一時期はファンクバンド「オーラ」のベーシストとして、プロ活動をしていました。

 

 

妹タカと弟マークとのコラボ↓↓↓ちなみにタイトルの『FOMO』とは、"Fear Of Missing Out"(SNSで取り残される恐怖)の略。

 

 

結婚と離婚と出産と

チャカは過去に2度結婚していて、最初の結婚は17歳

そのお相手が、彼女の芸名の由来になっているベーシストだったハッサン・カーン。

しかし、若かったせいかすぐに離婚

その後1973年に、当時お付き合いしていたラーサーン・モリスという男性との間にできた女の子、ミリニを出産しました。

 

2回目の結婚は1976年。

お相手は、ルーファス解散の原因になったと言われている音楽プロデューサー、リチャード・ホランド。

息子(ダミアン)を一人もうけますが、この結婚もわずか4年で破局しました。

 

 

次の世代へ

チャカの2人の子供のうち、ミリニ・カーンは母親譲りの才能で、ガールズ・グループのメンバーとしてデビュー。

最近でもチャカのバックコーラスをつとめるなど、ショウビズ界で活躍しています。

 

一方で息子のダミアン・ホランドもミュージシャンでしたが、2004年になんと殺人容疑で逮捕

その後無罪の判決を受けましたが、世間に大きな衝撃しょうげきを与えたことは、言うまでもありません。

当時はチャカも援護えんご尽力じんりょくしたり、チャカの妹がダミアンの子供を引き取ったり、家族で協力して危機を乗り越えました。

 

そんな子供たちにもそれぞれ子供がいるので、チャカには全部で5人の孫が。

孫たちとイベントに出演したり、自宅で一緒に過ごす姿をSNSに投稿したり、今やばぁばとしてもすっかりベテラなのンです。

 

 

さくらだくん
さくらだくん
近いうちに、「チャカ・カーン、孫たちを集めてグループ結成!」なんてニュースが聞けたりして。
ソメイP
ソメイP
ファンクの女王には、まだまだ現役で頑張ってもらいたいね。

 

チャカ初心者にはベスト盤もオススメ↓↓↓

 

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