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天才ミュージシャン&名曲

あだ名が「天才」、レイ・チャールズの人生と破天荒な素顔

出典:Ray Charles Facebook→https://www.facebook.com/RayCharles/

 

ソメイP
ソメイP
さくらだくん、今日6月10日はレイ・チャールズの命日だよ。
さくらだくん
さくらだくん
和田アキ子が「レイちゃん」って呼んでる人だよね?
サザンオールスターズ『いとしのエリー』のカバー、あれ好きだなぁ。
ソメイP
ソメイP
そう聞くと敷居が低そうだけど、彼は大物中の大物。
同時代のミュージシャンの間でも「天才」って呼ばれた人物なんだ。

 

 

逆境だらけの幼少期

盲目の天才ミュージシャン、レイ・チャールズ

黒人音楽の先駆者として、その名は現代音楽の歴史に深く刻まれています。

しかし、そんな彼が才能を手にするための代償は、あまりに大きいものでした。

 

 

本当に複雑な家庭環境

レイ・チャールズ(Ray Charles Robinson Sr.)は、1930年9月23日にジョージア州アルバニーで誕生しました。

母アレサは幼くして母親を亡くし、父親の同僚だった男性に養子として引き取られることに。

のちに、この男性ベイリーと15歳になったアレサの間にできたのが、レイでした。

 

この時点ですでに複雑ですが、さらにレイはそんな母親アレサと、ベイリーの妻(?!)によって育てられたといいます。

ベイリーの妻はアレサと仲が良く、レイのことも非常にかわいがってくれたそう。

ちなみに、ベイリーは家族を捨てて別の町で再婚

レイが10歳の時に亡くなりました。

また幼い頃、レイにはジョージという1つ下の弟がいましたが、ジョージは4歳のときに誤って洗濯槽に溺れて亡くなっています

 

ソメイP
ソメイP
レイは、3歳のころからピットマンという地元ピアニストにピアノを教わっていて、この人が幼い彼に大きく影響したようです。
のちに当時を振り返って「彼がいなかったら、僕はミュージシャンになっていなかった」と語っています。

 

 

幼くして家族も視力も失う

レイ・チャールズといえば盲目の天才として知られていますが、彼の目は生まれつきのものではありません。

とはいえ、5歳のときにはすでに部分的な盲目で、7歳ころまでに全盲になったようです。

原因は、緑内障の悪化とみられています。

そのため、彼はフロリダの盲ろう学校に通うことに。

点字

そこでは点字の読み書きだけでなく、クラシックピアノ管楽器の演奏編曲などを学ぶことができました。

 

ところが、苦難を乗り越え、希望の光が見えていたそんな矢先のこと。

14歳のレイはなんと、最愛の母親をガンにより亡くします

視力を失い、独りぼっちになった彼は、学校を辞めてジャクソンビルに移住。

プロ・ミュージシャンとして、生きてゆくことを決意したのでした。

 

 

シアトルへ

16歳になったレイは拠点をシアトルに移すと、そこで運命的な2つの出会いを果たします。

1つが、互いに尊敬する音楽仲間で、その後生涯しょうがいの友人となるクインシー・ジョーンズ

もう1つが、「マキシム・トリオ」のメンバーたち。

ギタリストのゴサディー・マギーと、ベーシストのミルト・ギャレットです。

 

2人と組んだことで、初の全米ヒット曲(ビルボードR&Bチャート2位)が生まれました。

さらに一方で、レイ個人はいちプレイヤーにとどまらず、アレンジャーやプロデューサーとしても、お呼びがかかるようになりました。

 

 

 

天才のキャリア

続いて、天才の歩んだキャリアをざっくり振り返りましょう。

 

 

初期

レイは1952年、アトランティック・レコードと契約しました。

1954年発表の『I've Got A Woman(アイヴ・ガット・ア・ウーマン)』では、それまでのナット・キング・コールをモデルにしたスタイルから一転。

R&Bやブルースゴスペルの要素を加えた、新ジャンル「ソウル・ミュージック」を世に送り出したのです。

 

ちなみにこの曲は、E・プレスリービートルズをはじめ、感銘を受けたたくさんの大物ミュージシャンにカバーされています。

そして1959年には、『What'd I Say(なんと言ったら)』が自身初のミリオン・ヒットを記録しました。

 

さくらだくん
さくらだくん
レイ・チャールズってジャズやカントリーの作品も残してて、そもそもの幅が広いのがスゴイよね。

 

エド・サリヴァン・ショーの映像↓↓↓ちなみに4人いる女子のうち、おそらく左から2番目がレイの息子を産んだひとりマージー・ヘンドリックス

 

レイの古い音源に、カウント・ベイシーがあとから演奏をかぶせたと知って驚き。すごいマッチして心地よき。ジャズ苦手な人でもイケると思う。

 

 

全盛期

アトランティックとの契約満了に伴い、レイは1960年に、ABCパラマウント・レコードと契約。

直後にリリースしたカバー曲『Georgia On My Mind(我が心のジョージア)』が、ビルボードHot100ナンバー1ヒットとなり、おかげで4つのグラミー賞を獲得しました。

その後も『Hit The Road Jack(旅立てジャック)』や、『Unchain My Heart(アンチェイン・マイ・ハート)』『I Can't Stop Loving You(愛さずにはいられない)』『You Are My Sunshine(ユー・アー・マイ・サンシャイン)』など、数多くのヒットが誕生。

この時期の彼は、時代を代表するトップ・スターとして、大活躍したのでした。

 

ソメイP
ソメイP
『Georgia On My Mind(我が心のジョージア)』はもともと、ホーギー・カーマイケルが1930年にリリースした曲。
レイのカバーがヒットした影響で、1979年にはジョージア州の州歌に認定されたんだ。

 

まさにこれぞ!なお姿↓↓↓このエモさが出せるのは、ジョージア州生まれの彼だからでしょうか。

 

 

後期

順調に見えたレイのキャリアですが、‘60年代後半~’70年代前半に発表した作品は、ファンの間でも賛否両論さんぴりょうろんが分かれ、商業的にふるわない時期を過ごしました。

しかし、我が道を信じて進んだ彼は、1974年にスティーヴィー・ワンダーのカバー『Living for the City(汚れた街)』で、再びグラミーを受賞。

1980年に、ミュージカル映画『ブルース・ブラザーズ』に出演したり、1985年の『We Are The World(ウィー・アー・ザ・ワールド)』にも参加しています。

さらに1989年には、チャカ・カーンとデュエットした『I'll Be Good To You(アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー)』が、R&Bチャート1位に。

同時期に日本では、テレビCMのためにサザンオールスターズの人気曲をカバーした『Ellie My Love(いとしのエリー)』が発売され、大ヒットしました。

 

そして、2004年に伝記映画『Ray/レイ』が製作されましたが、公開を目前にひかえた6月10日、肝不全による合併症で逝去

73歳でした。

 

 

当時、この曲でレイちゃんを知った日本人も多かったみたい↓↓↓

 

レイにJBアレサ…大勢のスターが出演するコメディー・ミュージカルを、4Kのイイ音・画質で。

制作自体はギリ本人の存命中でした。レイそっくりに演じきったジェイミー・フォックスが、アカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得しています。

 

 

天才の伝説

「天才」と呼ばれた一方で、プライベートの彼は破天荒はてんこうな人だったようです。

最後に、レイ・チャールズの豪快な素顔をのぞいてみましょう。

 

 

お盛んな女性関係

1978年に出版した自伝によると、レイの初体験は12歳

お相手は年上で、当時20歳くらいの女性だったそう。

以来、彼は女性が大好物で、自分でも「タバコとヘロインに並ぶ中毒」だと認めています。

 

そんなレイは生涯しょうがい2度結婚していて、子供も12人います。

最初の結婚は1年足らずで終わりましたが、2度目の結婚は22年間続き、3人の子宝にも恵まれました。

 

…???

そうです。

つまり、あとの9人は婚外子で、母親はぜんぶ違う女性!

結婚期間中に不倫したり、独身の時期にも恋人以外の女性と浮気したり…とにかくエネルギッシュな人だったようです。

 

 

薬物がやめられない止まらない

レイが薬物に最初に手を出したのは、16歳のころ。

前述したマキシム・トリオ時代、創造力が高まると聞いて、マリファナを吸い始めました。

間もなくヘロインも常用するようになり、ライブ前のバックステージでの使用が見つかるなど、幾度となく逮捕されています。

結局、17年間もの長きにわたってヘロイン中毒におちいっていた彼ですが、1964年に更生を決意。

医師や専門家のサポートのもと、解毒治療を続けてみごとに克服し、1966年に復帰しました。

 

 

仲良しプロデューサー、クインシー・ジョーンズとも、その昔は一緒にドラッグをキメていたようで。彼いわく、「レイは睾丸こうがんにヘロインを打ってた」とのことです(苦笑)。

クインシー・ジョーンズ
クインシー・ジョーンズはブラック・ミュージック界の首領(ドン)

80歳をとうに超えた今もなお第一線で活躍する天才音楽家クインシー・ジョーンズ。決して恵まれた環境とは言い難い幼少期や彼の代表作を通して、彼の足跡を追ってみましょう。

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"天才"の称号

レイ・チャールズ最大の功績といえば、1つのジャンルにとらわれずに、さまざまな音楽をクロスオーバーさせたこと。

R&Bやゴスペルのスタイルを組み合わせて、1950年代に新しく「ソウル」というジャンルを開拓しました。

その後の現代音楽に永続的な影響を残したことから、レイは「ソウルの父」と称されることも。

 

しかし、彼の呼び名といえば、なんといっても「天才(Genius)」でしょう。

あのフランク・シナトラがレイのことを、「ショービズ界で唯一の真の天才」と評したことがきっかけのようです。

レイ・チャールズとフランク・シナトラ

自身としては、「ブラザー・レイ」という呼ばれ方が好きだったといいますが、その割にはGeniusという単語をタイトルに冠したアルバムが多い(笑)。

しかもその昔、インタビューで次のようにコメントしています。

「天才だって言われることに対する後ろめたさはないけど、責任は感じるね。
僕自身が、やりたい事があれば誰でもそれを成し遂げられる、というひとつの例だから。」

 

さくらだくん
さくらだくん
自信をうかがわせつつも、みんなをはげますポジティブな発言だね。
ソメイP
ソメイP
いま現在、なにかの夢や目標に向かって進んでるみなさんは、ぜひこれを機にレイ・チャールズを聴いてみて!

 

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