あの番組は豪華ゲストも来るし、みんなかっこいいよね!
ホール&オーツそれぞれの生い立ち
ホール&オーツといえば、ブルー・アイド・ソウルを代表する最強デュオ。
いまだ現役の二人は、どのような人生を歩んできたのでしょうか。
ダリル・ホール(vo/g/key)
ダリル・ホール(Daryl Franklin Hohl)は、1946年10月11日ペンシルニア州生まれ。
ドイツ系の両親はともに音楽家でしたが、彼自身は子供のころからソウル/R&B好き。
スポーツより読書が好きな、クラスではどちらかというと目立たないタイプだったのだとか
そんなダリルは、高校生の頃からレコーディングを始め、1964年に入学したテンプル大学でも音楽を専攻していました。
そして、学内で5人組ボーカル・グループ「テンプトーンズ」を結成。
グループは大学のあるフィラデルフィアで、特に黒人から人気だったようです。
個人的にヘビロテしてたのは3rdなんだけど、それ以外の作品も含むダリルのソロベスト盤↓↓
ジョン・オーツ(g/vo/key)
ジョン・オーツ(John William Oates)は、1948年4月7日ニューヨークで生まれました。
父親はイギリス人とブラジル人のハーフ、母親はイタリア人で、二人はジョンが生まれるとすぐに、フィラデルフィア郊外に引っ越しました。
ジョンは子供のころからギターを弾き始め、高校生になるとアマチュア・バンドの一員として、地元のクラブやパーティーに出演。
一方で、レスリング部のキャプテンで優勝するほどの選手だったため、レスリングで奨学金の話がきました。
ところが1966年、競技のための減量に飽き飽きしていた彼は、それを断ってテンプル大学へジャーナリズム専攻で入学。
在学中は「マスターズ」というセミプロバンドで、ギターボーカルとして活動していました。
カーティスやエルヴィスなどのカバーも入ったジョンのソロ。ぜんぶ1発録りというこだわり↓↓↓
コンビ結成まで
世界を揺るがすデュオの出会いは、エレベーターの中でした。
ある日、テンプトーンズとマスターズが同じダンスパーティーで演奏する機会があり、そこでギャング同士のケンカが勃発。
その場を後にしようと乗り込んだエレベーターで、2人は初めて言葉を交わすことになったのです。
お互いにソウルやR&Bといった黒人音楽ファンで、さらに同じ大学ということもあって意気投合。
以来、定期的にセッションするようになり、一時はルームシェアするほどの仲に。
ダリルが新たなロックバンドでデビューしたけど不発に終わったり、ジョンが大学を中退して放浪の旅に出たり、いろいろありましたが、1970年には正式に「ダリル・ホール&ジョン・オーツ」として活動開始。
ほどなくして、ロックの殿堂でお馴染みアーメット・アーティガン率いる、アトランティック・レコードとの契約にこぎつけます。
ホール&オーツの軌跡
8,000万枚以上のレコードセールスをはじめ、ロックの殿堂入りや複数のグラミー賞ノミネートなど、名実ともにトップ・アーティストの2人。
ところが、そんなスター・デュオにも低迷期がありました。
夜明け前
ダリル・ホール&ジョン・オーツは、1972年にアルバム『Whole Oats(ホール・オーツ)』でレコード・デビュー。
そこから毎年、アルバムをリリースしました。
ところが、有名プロデューサーたちの力を借りたにもかかわらず、期待したような成功は得られませんでした。
そんな中、一筋の光となったのが、セカンドアルバムにも収録された『She’s Gone(追憶のメロディ)』。
自身でヒットさせられなかったこの曲が、ルー・ロウルズやタヴァレスにカバーされ、特にタヴァレスのバージョンはビルボードR&Bチャートで首位に。
そのおかげで、オリジナルであるホール&オーツにも注目が集まりました。
スターの仲間入り
ホール&オーツの2人がトップ・スターになったのは、アトランティックを離れ、RCAレコードと契約してからでした。
1975年、移籍後初となる4thアルバム『Daryl Hall John Oates(サラ・スマイル)』をリリースし、これがBillboard 200で17位をマーク。
翌年シングルカットされた『Sara Smile(微笑んでよサラ)』も、ビルボードHot100で最高4位のヒットとなりました。
さらに、同年発表の6thアルバム『Bigger Than Both of Us(ロックン・ソウル)』からのシングル『Rich Girl(リッチ・ガール)』で、とうとう全米No1に輝きます。
ブレイクとその後
70年代後半~80年代半ばにかけてのホール&オーツは、まさに最盛期。
『Kiss on My List(キッス・オン・マイ・リスト)』や『Private Eyes:プライベート・アイズ』、『Maneater(マンイーター)』をはじめとする、たくさんのヒット曲を残しています。
そんな2人は1984年に、全米レコード協会(RIAA)により「音楽史上最も売れたデュオ」として認定され、現在もその称号は彼らのものです。
1991年から数年間、2人はデュオとしての活動を休止。
お互いにソロ活動に専念していましたが、1995年には再開。
以降、現在にいたるまで精力的に活動を続けています。
2人の代表曲↓↓↓幸せなら手をたたこう!
2人が全盛期に新生アポロ・シアターで開催したライブ音源↓↓↓モータウンへのリスペクトを感じます。
ホール&オーツの魅力
最後に彼らの音楽的、そして人間的な魅力についてお伝えしましょう。
ホール&オーツの音楽
ダリル・ホール&ジョン・オーツといえば、「ブルー・アイド・ソウル」の代表格のひとつ。
ブルー・アイド・ソウル(blue eyed soul)とは音楽ジャンルの一種で、直訳どおり「青い目のソウル」、つまり白人が奏でるソウル・ミュージックのことです。
黒人音楽に影響を受けた白人ミュージシャンが、ロックやポップスの演奏や歌唱をしている音楽を指します。
60年代のライチャス・ブラザーズの活躍にともなって、この呼び方が浸透したのだとか。
ホール&オーツも、80年代のブルー・アイド・ソウルを牽引しました。
ソウルやR&Bといった黒人音楽は、まさに2人にとっての音楽的ルーツ。
彼らのサウンドがそれらに近いものになるのは、ごく当然だったのです。
ダリルの私生活
色男ダリル・ホールが最初に結婚したのは、1969年のこと。
お相手はブリナ・ルブリンという女性でした。
彼女と結婚するために改宗したり、彼女のために前述の『She’s Gone』を書いたり…。
といったエピソードを聞く限り相当な愛を感じますが、3年ほどで離婚。
そして、その次のお相手が客室乗務員をしていたガールフレンド、サラ・アレン。
そう、『Sara Smile』のサラです。
サラとその妹ジャンナは、ホール&オーツの楽曲製作でも大きな戦力となり、全米トップ10入りした16曲のうち7曲は、彼女たちとの共作でした。
そんなサラとのパートナー関係はおよそ30年間続きましたが、結局は入籍しなかったようです。
その後2009年に結婚したアマンダ・アスピナールは、イギリスで有名な動物園経営者の娘。
しかし2015年に離婚しています。
また、ダリルには"ダレン"という名前の息子がいるようですが、母親は前述した3人とはまた別の女性です。
もんっそい切ない曲↓↓↓ダリルによるとサラと別れた後に書いたそうで。2人はくっついたり離れたりを繰り返していたらしいです。
ジョンの私生活
華やかなダリルと並んだ時には、ちょっぴり地味な印象を受けるジョンですが、そんな彼も実は2度結婚しています。
最初の結婚は1983年で、お相手はモデルのナンシー・ハンター。
彼女が彼らのライブを観に来ていたのが出会いで、当時彼女はまだ10代だったそう。
恋愛ドラマのような話でしたが、5年ほどで離婚しています。
そして、1994年に再婚したお相手が、いまの奥さまのエイミー。
2人の間には、1996年に一人息子のタナーも生まれています。
夫妻はコロナ禍の2020年に、アメリカの食糧および貧困家庭の問題に立ち向かうべく、ストリーミング放送を通じたバーチャル音楽フェスを主催。
収益をすべて寄付しました。
と、ここまで聞くとジョンの好感度が爆上がりですが、以前とあるインタビューで”過去に何人の女性と付き合ったか”聞かれて、
「ん千人かな…もうわかんないけど。」と答えています。
加えて、「あらゆる街の女の子たちと関係を持ったよ。」とも。
ダリルズ・ハウス
ホール&オーツというより、ダリル・ホール個人としてですが、彼の近年の活躍を語るうえで、「ダリルズ・ハウス」の存在は避けて通れません。
「Live From Daryl's House(ライブ・フロム・ダリルズ・ハウス)」、通称ダリルズ・ハウスは、ダリルがホストをつとめる音楽番組。
彼が、お友達ミュージシャンを自宅(広い!)に招いてセッションします。
トークコーナーや、有名シェフによる出張料理コーナーを挟みながら、何曲も聴けるというもりだくさんな内容です。
2007年11月にWeb動画としてスタートし、その後テレビで放送されるように。
ケニー・ロギンスにスモーキー・ロビンソン、チープ・トリック、ジェイソン・ムラーズ、ケビン・ベーコンなど、多彩なゲストとの共演が観られます。
もちろん、相方ジョン・オーツが登場する回も。
なお、2014年以降は撮影場所が、ダリル所有のレストラン(その名も「Daryl's House」)に変わりました。
現在は一般人向けにふつうにレストラン営業していて、さまざまなミュージシャンによるライブも開催されています。
ダリルズ・ハウスの中でも個人的に好きなのがこれ↓↓↓ハウスバンドもシーローもよき!なによりダリルじいさんがよき!
これから聴く皆さんは、とりあえずベスト盤から入っても良いかも♪