27歳という若さで亡くなった彼が、後世のミュージシャンにいかに多大な影響を与えたのか、一緒にみていこう。
天才ジミ・ヘンドリックスの生涯
天才ギタリストといえば、ギターの神と呼ばれるエリック・クラプトンやロックギターインストの先駆けジェフ・ベック、人気バンド“レッド・ツェッペリン”のジミー・ペイジ。
いわゆる「3大ギタリスト」をすぐに思い浮かべる人も多いでしょう。
そんな天才たちにもリスペクトされるのがジミヘンこと、ジミ・ヘンドリックスです。
天才ギタリストの生い立ち
ジミ・ヘンドリックス(James Marshall Hendrix)は1942年11月27日、ワシントン州シアトルに生まれました。
17歳でジミヘンを産んだ母親は自由奔放な性格で、彼が幼いころに家を出て数年後に亡くなっています。
両親が不仲だったこともあり、ジミヘンは子供のころからたびたび父方の祖母のところに預けられていたのだそう。
祖母は、純血のチェロキー族(ネイティブアメリカンの一族、つまりインディアン)。
幼いジミヘンは彼女から一族の昔話を聞かされ、彼らの居住地での貧しい生活を目の当たりにして過ごしました。
デビューまで
そんなジミヘンがギターと出会うのは15歳のとき。
父親から買ってもらった中古のアコースティックギターが、最初の1本だったのだとか。
最初はブルースから始めましたが、やがてロックンロールにどハマリし、エレキギターに持ち替えてアマチュアバンドで活躍するようになりました。
コンテストで全米No.1も獲っていたというから、やはり当時から才能があったのでしょう。
そんな中、ジミヘンは18歳のときに自動車窃盗の罪で逮捕され、収監から逃れるため陸軍に入隊。
しかし、実地には一度も行くことのないまま、素行不良ですぐに除隊に。
逮捕から除隊までのくだりだけを聞くとクズ臭がプンプンしますが、心配いりませんw
逆にここから、本格的にギタリストとして活動を始めることになったのですから。
アイク&ティナ・ターナーやリトル・リチャードといった大物ミュージシャンのバックメンバーとして、徐々に音楽シーンで頭角を現したジミヘン。
その噂を聞きつけたチャス・チャンドラー(アニマルズのベーシスト)に声を掛けられ、イギリスに渡ることになりました。
そして、1966年にロンドンで「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」を結成。
『Hey Joe(ヘイ・ジョー)』で表舞台へのデビューを飾り、音楽シーンに衝撃を与えたのです。
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栄光と影
1967年には、アメリカの「モンタレー・ポップ・フェスティバル」に出演。
そこで、ジミヘンの代名詞ともいえるパフォーマンスのひとつ、「ギター燃やし」を披露。
スターとしての地位を確立しました。
ところが、その翌年にエクスペリエンスが解散になったあたりから、ジミヘンの音楽活動にも曇りが。
「ジプシー・サンズ&レインボウズ」という6人組バンドを新たに結成しますが、ウッドストック・フェスティバルへ出演した他は、目立った活動がないまま解散。
さらに、その後に組んだ「バンド・オブ・ジプシーズ」という黒人バンドも、同じく短命に終わります。
人気とは裏腹に、このころのジミヘンはビジネスだけでなく、私生活でもトラブルを抱えていました。
当時、多くのロックミュージシャンがそうだったように、彼もドラッグ中毒だったのです。
しかし、しばらくするとジミヘンはそんな闇を抜けて、自身のスタジオを設立。
ニューアルバムの制作を進めようとしていた矢先の1970年9月18日、突如としてこの世を去ります。
27歳という若さでした。
伝説のフェス、ウッドストックの30周年記念ラジオより↓↓↓アメリカ国歌も、彼が弾くとこんな感じに。
けどハッキリしない点も多いから、「謎の死」って言われてるんだ。
医療ミスや自殺、中には他殺なんてうわさもあるけど、今となっては真相は闇の中だね。
ジミヘンが”伝説”といわれる訳
早くして亡くなったため、ジミヘンのメジャーシーンでの活動期間はわずか4年。
にもかかわらず、いまだに世界中の多くのミュージシャンにとって、あこがれの存在です。
ここからは彼の魅力を深堀りしましょう。
伝説のプレイ
ジミ・ヘンドリックスといえば前述の「ギター燃やし」や「歯弾き」、「背中弾き」といったエキセントリックなパフォーマンスのイメージが強いかもしれませんね。
しかし、そんなのは彼の魅力のほんの一部。
右利き用のストラトキャスターを左で奏で、エフェクターを多用して歪んだサウンドをマーシャルのアンプから響かせる彼は、そもそも技術の高いギタリスト。
正確なフィンガリングで生み出すグルーヴや大胆なアーミングは、今でも多くのギタリストに影響を与えています。
また、なんといっても「2度と同じプレイは再現できない」という神がかったアドリブは圧巻。
エレキギターの可能性を無限に広げた、まさに伝説のギタリストといえます。
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コンポーザー、ボーカリストとしても優秀
ジミヘンはプレイヤーとしてだけでなく、コンポーザー(作家)としても非常に優秀でした。
作詞作曲やアレンジから、レコーディングまでこなしていたそう。
特に、「ルート・3rd・7th・#9th」という、メジャーとマイナーのコードを合わせた「ジミヘンコード」はご存知の人も多いはず。
独特の響きからもセンスが伺えますね。
また、ボーカリストとしても非常に魅力的。
ハスキーで味のある歌声は、いまでも多くの音楽ファンを魅了しています。
さらには、ブルースとロックンロールという2つのジャンルを融合して、「ハードロック」という新ジャンルを確立したのも彼の功績です。
↓↓↓声もよき。
数々のアーティストに影響
レジェンド、ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたアーティストは、昔から数えきれないほど多く存在しています。
冒頭に挙げた3大ギタリストたちも当時、ジミヘンのプレイを観て「かなわない」「ギターを辞めようかと思った」と語っていたとかいないとか。
また、下の世代でも、たとえばプリンスや元レッド・ホット・チリ・ペッパーズのジョン・フルシアンテなどは、よくジミヘンの影響を指摘されています。
日本でもプロ・アマ問わず、昔から多くのロックキッズの心を掴んで離しません。
永遠の憧れなのです♪
命日にジミヘンの世界に浸ってみるのもいいんじゃないかな?
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