彼女の曲は他にも名曲ぞろいだから、昔からたくさんカバーされてるよね。
キャロル・キングができるまで
キャロル・キングといえば、女性シンガー・ソングライターのレジェンド中のレジェンド。
彼女が生んだ名曲の数々は、昔から音楽史に燦然と輝き続けています。
そんな彼女の人生を覗いてみましょう。
幼少期から学生時代
キャロル・キング(Carole King / Carol Joan Klein)は1942年2月9日、ニューヨークのブルックリンに住むユダヤ人の両親の元に生まれました。
幼いころから音楽が好きで4歳のときにピアノを習い始めましたが、当時からすでに絶対音感があったのだとか。
しかも言語と数学の能力も高く、幼稚園から2年生に飛び級した賢い子どもだったようです。
さすがユダヤ系。
そして高校時代、彼女が最初にお付き合いしたボーイフレンドというのが、『カレンダー・ガール』や『恋の片道切符』で知られるニール・セダカ。
その影響もあってか、キャロルも作曲やバンド活動を始め、本名のキャロル・クラインではなくキャロル・キングと名乗るようになります。
タイトルそのまんまのこの曲がニール・セダカがキャロルのことを歌っているのは、あまりにも有名な話↓↓↓
最強タッグ結成
その後大学に進学したキャロルは、人生を変える2人の男性と知り合います。
のちに彼女の1人目の夫となるジェリー・ゴフィンと、サイモン&ガーファンクルとして成功する前のポール・サイモンです。
作曲ができても作詞が苦手だったキャロルと、逆に作詞はうまいが作曲がイマイチだったゴフィンは、ソングライターのチームを結成。
友人のサイモンにデモテープ作りを教わり、ゴフィンと共作した曲をデモに入れて、レコード会社に売り込んでいました。
その甲斐あって、キャロルは1958年にABCパラマウント・レコードから『The Right Girl』でソロシンガーとしてデビュー。
その後、ほかのレーベルからもシングルを3枚をリリースしましたが、残念ながらどれもヒットには至らず。
一方、プライベートでは第一子妊娠をきっかけに1959年8月ゴフィンと結婚。
夫婦そろって大学を中退して、日中は仕事をし夜は一緒に曲作りをする、という生活を送りました。
↓↓↓『Oh!Carol』のアンサーソングとしてゴフィンが作詞。ただの替え歌で草。
アルドン・ミュージック
そんな中、キャロルとゴフィンは音楽出版社アルドン・ミュージックの設立者のひとり、ドン・カーシュナーと出会い、プロの作曲家チームとしてのキャリアをスタートさせました。
2人の他にも、アルドンにはニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールドや、バリー・マン&シンシア・ウェイルといった、10代後半から20代前半の優秀な若手ライターが所属。
ヒットを連発していました。
60年代に入ると、キャロル&ゴフィンのコンビも次々とヒット作を世に送り出します。
黒人女性ヴォーカルグループ、シレルズの『Will You Love Me Tomorrow』、娘のベビー・シッターをしていたリトル・エヴァに歌わせた『ロコ・モーション』、アレサ・フランクリン『ナチュラル・ウーマン』をはじめ、この時代に2人が書いたヒット曲は音楽史に残る傑作ぞろい。
今でもカバーされ続けているのはご存知の通りです。
ドン・カーシュナーは業界きってのヒットメイカーで、「黄金の耳を持つ男」と言われてたそうな。
ゴフィンとの別れ
公私ともに連れ添ったゴフィンとの別れを機に、キャロルの人生は大きく変化します。
シティ時代
その前から破綻していたゴフィンとの結婚生活でしたが、1968年には正式に離婚が成立。
からの、
すぐさまベーシストのチャールズ・ラーキーと再婚。
女ってスゴい…。
そしてロスアンジェルスに移住し、ラーキーとギタリストのダニー・コーチマーと共に3人組バンド「シティ」を結成。
デビュー作にして最後のアルバムとなる『Now That Everything's Been Said(夢語り)』をリリースしましたが、不発に終わりバンドは解散することになりました。
しかし、キャロルはその後1970年に再びソロとして『Writer(ライター)』というアルバムをリリース。
シンガー・ソングライター・ブームをけん引することになるのです。
つづれおり
再デビューを果たした彼女が1971年に発表した2枚目のアルバムこそ、空前の世界的大ヒットとなる『Tapestry(つづれおり)』。
そう、あの一家に一枚の神盤です。
ビルボード15週連続1位、その後も302週連続で100位以内にランクインするロングセラーとなったこのモンスターアルバムは、その後も現在まで世界中でおよそ2,500万枚を売り上げています。
グラミーでも4部門制覇し、この作品のおかげで彼女は、女性シンガー・ソングライターの第一人者として不動の地位を得ました。
いまだにカバーさえるこの多い『空が落ちてくる』を2004~2006年の「リビングルーム・ツアー」バージョンで↓↓↓
その後のキャロル
つづれおりの大ヒット後も、『Music(ミュージック)』や『Fantasy(ファンタジー)』など順調に作品を発表。
その地位は確固たるものに。
そして、1990年にはソングライターとしてゴフィンとともにロックの殿堂入り。
2004年には同じく2人で、グラミーの特別功労賞理事会賞を受賞。
2012年には、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムで、2,486番目の星の獲得者になりました。
キャロル・キングまめ知識
穏やかな曲調や声質から、本人も素朴な人なのかと思いきや、私生活はけっこう攻めてます。。
映画やミュージカルになるくらい、アップダウンの激しい人生なんですよね。
キャロルと4人の夫
キャロルはこれまでに、4回の結婚と離婚を経験しています。
経験豊富とは、彼女のような人生を言うんでしょうね。
だからこそ良い曲が書けるんでしょうね。
ということにしときましょうね。。
- ジェリー・ゴフィン(1959~1968年)
- チャールズ・ラーキー(1970~1976年)
- リック・エヴァーズ(1977~1978年)
- リック・ソレンセン(1982~1987年)
ちなみに、長年よき共演を見せてくれるジェームス・テイラーとは、肉食キャロルいわく「恋愛関係は1度もなく、ずっと友人関係が続いている」とのことです。
ゴフィンとの間にもうけた長女ルイーズも、ミュージシャン。おかんと曲作りについて語ってます↓↓↓
映画化&ミュージカル化
成功だけでなく不遇の時代も味わっている彼女の生き様は、実にドラマチック。
1996年には、そんな彼女の半生が映画化されました。
「グレイス・オブ・マイ・ハート」は職業作曲家だった主人公が、紆余曲折を経てシンガー・ソングライターとして成功するまでの話。
1958~1971年までのキャロルの半生を基にしています。
製作総指揮には、あのマーティン・スコセッシの名前も。
また、同作は2013年に「ビューティフル」という名前でミュージカル化され、トニー賞でミュージカル主演女優賞とミュージカル音響デザイン賞を受賞しています。
最後に、盟友ジェームス・テイラーとの共演であの名曲を↓↓↓
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