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天才ミュージシャン&名曲

アレサ・フランクリンの男に振り回され続けた早熟人生

2020年8月31日

アレサ・フランクリン

Courtesy Everett Collection on VARIETY→https://variety.com/

 

さくらだくん
2021年に伝記映画『リスペクト』が話題だった、アレサ・フランクリンってどんな人?
ソメイP
ゴスペル音楽をバックグラウンドに持つ圧倒的歌唱力が魅力の大物黒人歌手で、「クイーン・オブ・ソウル」とか「レディ・ソウル」って呼ばれているよ。
そのキャリアに負けずおとらずパンチの効いた私生活も、女王の貫録かんろくなんだ。
さくらだくん
ジェニファー・ハドソンが好演だったよね。
ソメイP
今回は、映画では紹介しきれかなかった彼女の人生を紹介するね。
ちなみに、『リスペクト』を観る前にドキュメンタリー映画『アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン』を観ておくと感動がひとしおだよ。

 

 

 

 

クイーン・オブ・ソウルの生い立ち

アレサ・フランクリンの才能は、彼女の生い立ちに大きく関係しているようです。

 

 

ミュージシャンの両親の元に生まれ教会に育つ

さすがにゴスペルに疎い日本人でも、彼女の名前なら一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

グラミー賞受賞歴20回
・1987年 女性アーティストとして初のロックの殿堂入り
・2008年 「ローリング・ストーン誌シンガー」第1位

をはじめ、数々の輝かしいキャリアを持つレジェンドです。

 

アレサ・フランクリン(Aretha Louise Franklin)は1942年3月25日、テネシー州メンフィスで、牧師でありシンガーでもあった父とピアニストでゴスペル歌手という母との間に生まれました。

あのM.L.キング牧師とも親しかったという高名な牧師だった父親ですが、決して完璧な家庭人ではなかったようです。

アレサの母親は彼の女癖の悪さにしびれを切らし、アレサが6歳の時に家を出ます。

そこから父親のガールフレンドたちに育てられたアレサは、わずか9歳にしてその実母と死別することに。

 

一方そんな両親の元、教会音楽の影響を多大に受けたアレサ。

1度聞いた曲を楽譜がなくてもピアノで弾く、という天才児だったのだとか。

10歳になる頃には、教会で歌声を披露するまでになります。

母親を失ったショックから彼女を救ったのも、また音楽でした。

 

さくらだくん
それはソメイPが逆立ちしても叶わない天才だね。
ソメイP
ホント、こちとら年々記憶力の衰えを実感しているっつーのに。
1度聞いたら再現できるなんて、モーツァルトかよ!
さくらだくん
それにしても、アレサのおとんはダメンズ代表みたいなオトコだね。
ソメイP
よく自分とこの教会で、マリファナ吸いながらの乱交パーティーを開いてたらしいよ。
我慢できなくなったおかんが兄だけを連れて家を出たことも、当時のアレサの人格形成に影響を与えているのは、間違いなさそうだね。

 

 

13歳で初出産

両親から音楽的才能を受け継いだなんて、サラリーマン家庭に育った凡人にはうらやましい限りですが、父親からは音楽だけでなくあっちの方の影響も…。

かなり若いころから性的に成熟していたと言われていて、なんと教会で育ったアレサは12歳で妊娠し、13歳で出産しているのです。

一時は、産まれた赤ん坊の父親はアレサの父ではないかとのうわさもあったようですが、のちに近所の少年が父親だったということが判明しています。

 

「さすがにそれはなかったか…」と胸をなで下ろすのは、まだ早い!

15歳の時には、また別の男性との間にできた子どもを出産しています。

15歳という若さですでに2人の子を持つ未婚の母。

クイーンは仕事が早い。

 

 

唯一無二の歌唱力

女性としての大仕事をいち早く終えた感のあるアレサですが、音楽のキャリアはここから。

マネージャー業も務めたという父親のサポートのおかげもありJVBレコードと契約を結び、1956年に『Songs of Faith(ソングス・オブ・フェイス)』でデビューします。

 

その後1960年にコロムビア・レコードと契約、1966年にはアトランティック・レコードに移籍。

その翌年には、オーティス・レディングのカバー『Respect(リスペクト)』で全米1位を獲得し、一躍スターの仲間入りを果たしました。

 

ちなみにこの↓↓↓シュールなタッチのアニメは、Respectミュージックビデオコンテストの優勝作品。


『Chain Of Fools(チェイン・オブ・フールズ)』
『(You Make Me Feel Like) A Natural Woman(ナチュラル・ウーマン)』『I Say A Little Prayer(小さな願い)』をはじめ、数あるヒット曲の中には白人歌手のカバーも多数。

どんな曲でもソウルに変身させてしまうのが、彼女がクイーンと呼ばれる理由です。

 

たとえば、日本でもヒットしたサイモン&ガーファンクルの『Bridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)』も、クイーンが歌うとこう↓↓↓なります。イントロちょい長めw

 

また、彼女の魅力はこれでもか!ってほどのアドリブにあるので、2回と同じように歌えないことでも有名です。

そのため、映画『The Blues Brothers(ブルース・ブラザーズ)』に出演した際は、リップシンク(音源に合わせて口パクすること)させるのに苦労したのだとか。

 

ちなみに、この映画『The Blues Brothers』もおすすめです。

ダイナーのおかみを演じるアレサが意外とハマっていてよき。

JBレイ・チャールズチャカ・カーン(ほんの一瞬ね)といったそうそうたる面子も出演。

音楽好きには有名な作品ですが、ストーリーがわかりやすくキャラクターも立っているので、普通に娯楽映画として楽しめるはず。

 

 

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さくらだくん
いよいよその名が全米に広まったね。
輝かしいキャリアがうらやましいな~。
ソメイP
ところが、このままハッピーエンドにならないのが女王の人生。
成功の裏にまた波乱が押し寄せるんだ。

 

 

 

波乱に満ちた私生活

スターになる代償だったのでしょうか。

クイーンは残念ながら、大人になってからも幸せな家庭を持つことができずにいました。

 

 

結婚そして…

15歳で2児を抱える未婚の母となっていたアレサですが、19歳のころには当時彼女のマネージャーをしていたテッド・ホワイトと結婚しています。

2人の間には彼女にとって第三子となる息子も授かり、ようやく幸せな家庭が築けると思われましたが、その願いははかなくもやぶれることに。

 

原因はテッドの暴力

もともと彼は、売春の斡旋あっせん業者をしていました。

デビュー当時のアレサにはまだまともな収入がなく、テッドが売春斡旋あっせんをして得た収入に支えらていたと言われています。

うーん…その時点でどうなのよ?

 

そんなテッドの暴力は周囲では有名だったようで、荒れ果てた結婚生活から逃れるようにアレサは酒におぼれ、兼ねてから抱えていたアルコール依存症が悪化

その後ニュース雑誌にも報じられたことをきっかけに2人は離婚し、結婚生活はわずか数年で終わりを告げました。

 

 

人生いろんなことがありました

1969年にテッドと離婚した後、一時はアルコールの過剰摂取はおさまっていたようですが、一方で過食による肥満という問題も抱えていました。

俳優のグリン・ターマンと1978年に再婚したものの、6年後にはまたもや離婚。

結果、彼女は生涯で父親の違う4人の子ども(オール男子!)をもうけました。

 

さらに2012年には御年69歳にして、長年の友人であるウィリアム・ウィルカーソンとの婚約を発表。

もうパワフルが過ぎます。

 

しかし、残念ながら実際には3度目の結婚に至らなかったようです。

 

晩年は肥満と精神的な問題に悩まされていたというアレサですが、2018年8月16日にミシガン州デトロイトの自宅で、膵臓すいぞうがんのため76歳で亡くなりました。

波乱に満ちた彼女の人生は、まるで壮大な映画のよう。そりゃ映画化もされますわ。

 

しかしそんな苦難に満ちた人生だったからこそ、彼女の曲に込められた「女性の自由」「人種差別への反対」といったメッセージが、聴く人の心に強く響くのでしょうね。

 

ソメイP
飛行機恐怖症のアレサが生涯で海外公演をしたのはわずか。
そのため日本公演も叶わないままでしたが、ライブ音源や映像はたくさん残っているのでぜひいろいろ聴き比べてみてね。

 

 

アレサが残した素晴らしい歌唱を入手するなら、『 NO MUSIC, NO LIFE. 』 タワーレコードの公式通販で。

 

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