今でも世界中でリスペクトされてるよ。
ボブ・マーリーの人生
まずは、ルーツ・レゲエ(レゲエ・ミュージックの元祖的なジャンル)の先駆者、ボブ・マーリーの人生を振り返ってみましょう。
幼少期
ボブ・マーリー(Bob Marley / Robert Nesta Marley)は、1945年2月6日、ジャマイカのセント・アンズ教区ナイン・マイルに生まれました。
イギリス人の父、ノバル・シンクレア・マーリーはジャマイカ最大の建設会社を経営していて、その時61歳。
一方、ジャマイカ人の母セデラ・ブッカーは16歳という、白人男性と黒人女性のカップル、それも超歳の差アリの両親でした。
そして、そんな両親は世界中によくある話と同じく、やっぱりボブが生まれた直後に別れています。
母親に引き取られたボブは、幼少の頃をキングストンの貧民地区にて過ごすことに。
のちにバンド仲間となるバニー・ウェイラーと出会ったのも、この頃でした。
ウェイラーズ
その後ボブとバニーは、近くに住む“レゲエの父”ことジョー・ヒッグスが開く音楽教室に一緒に通うことに。
そこで、音楽の基礎だけでなくラスタファリ運動(詳しくは後述を見てね)についても教わり、それは二人の思想や生き方の大きな土台となりました。
やがて二人は、ピーター・トッシュを含む6人でバンドを結成。
伝説のバンド「ウェイラーズ(The Wailers)」の誕生です。
1963年には、シングル『Simmer Down(シマー・ダウン)』が地元ラジオで1位を獲得し、レコードセールス8万枚以上というヒット曲になりました。
「カッカするな、落ち着けよ」と歌った初ヒット↓↓↓レゲエというよりスカですね。
バンド再編成
1973年にウェイラーズは、アルバム『Catch a Fire』でメジャー・デビュー。
その翌年には、あのエリック・クラプトンが『I Shot The Sheriff』をカバーし、ビルボード1位を獲得します。
これに伴い、ウェイラーズの知名度も世界的に急上昇。
ところが、いよいよこれからという矢先になんと、バニーとピーターが脱退してしまいます。
ボブはメンバーを再編成し、バンド名も「ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ(Bob Marley & The Wailers)」に変更。
再出発を余儀なくされました。
しかしながら、ここからがいよいよ彼の快進撃。
『Natty Dread(ナッティ・ドレッド)』や『Exodus(エクソダス)』をはじめとする優れたアルバムや、『No Woman No Cry(ノー・ウーマン、ノー・クライ)』や『One Love/People Get Ready(ワン・ラヴ/ピープル・ゲット・レディ)』といった、数々のヒット曲を世に送り出したのでした。
ボブ・マーリーの最期
1980年9月、ニューヨークのセントラル・パークをジョギング中に倒れたボブは、脳腫瘍と診断されます。
宣告された余命は1か月。
その翌日(!)のピッツバーグでのライブが、最後の舞台となりました。
11月には自然療法を受けるため西ドイツの病院に移り、トレードマークのドレッドを切って治療に専念しましたが、全身に転移した腫瘍はもはや手が付けられない状態に。
翌1981年5月、祖国ジャマイカで最期を迎えたいという本人の希望から、チャーター機で西ドイツを後にします。
ところが、機内で容態が悪化したため急遽、母セデラの住む米マイアミへ。
そして5月11日、搬送先のマイアミの病院で、妻と母に見守られながら他界。
36年の太く短い人生でした。
ボブ・マーリー1番人気のアルバムといえばコレ↓↓↓一家に1枚持っておこう。
ラスタと政治とボブ・マーリー
ここからは、ボブ・マーリーの思想や社会的影響についてご紹介。
メッセージ色の強い音楽を奏でていた、彼の思いはどこから来ていたのでしょうか?
ラスタとは
ここまでに何度か登場している「ラスタ」という単語について、「レゲエ・ミュージシャンのことでしょ?」とか「赤・黄・緑の3色のことでしょ?」と思っている日本人が少なくありません。
「ラスタ(ラスタファリ運動、ラスタファリズム)」とは、1930年代にジャマイカ人の間に広まったアフリカ回帰主義の思想運動のこと。
実在するエチオピア皇帝を神(ジャーjah)と崇めていて、宗教と思われがちですが、厳密には宗教とは違います。
あくまで、自由・解放を求めた思想運動なのです。
そして、この運動の実践者は「ラスタファリアン」とか「ラスタピープル」、または単に「ラスタ」と呼ばれます。
ラスタの特徴
ラスタファリ運動の主な特徴は、次の3つ。
まずは、あの印象的なヘアスタイル「ドレッドロックス」。
これは、たとえ髪の毛であっても体に刃物を当ててはいけない、という考え方に由来します。
次に、「アイタルフード」と呼ばれる食事。
肉を食べることを禁じた菜食主義です。
そして、3つ目が「ガンジャ(大麻)」の存在。
ラスタファリ運動では、これを吸引することを“認めている”のではなく、“推奨している”のです。
たしかに、残されたボブの写真にも、ガンジャを吸っている姿が多くみられますよね。
そんなラスタのメッセージを、ジャマイカ生まれのポピュラー音楽に乗せて世界に発信したことから、ボブは「レゲエの神様」と呼ばれるようになったのです。
「権利のために立ち上がれ!諦めるな!」という、ストレートな歌詞が刺さります。聴く人を勇気づける名曲↓↓↓
ボブ・マーリー銃撃事件
ボブ・マーリーの音楽が国民たちから強く支持された背景には、当時のジャマイカ人たちのナショナリズムの高まりや、社会不安がありました。
政治批判やメッセージ性の高い楽曲を歌っていたボブ自身が、実際に政治抗争に巻き込まれたことも。
二大政党の対立により、政治的緊張がピークにあった1976年のジャマイカで、祖国の平和を取り戻そうと無料ライブ「スマイル・ジャマイカ・コンサート」を企画したときのこと。
本番が近づくにつれ、ボブの元には脅迫文などが届くようになり、リハーサル中にはとうとう狙撃される事件にまで発展。
自身を含む何人かが重傷を負う事態に。
負傷したまま2日後の本番に出演は果たしたものの、翌朝には亡命せざるを得ませんでした。
ワン・ラブ・ピース・コンサート
活動拠点をロンドンに移したボブでしたが、1978年4月にはジャマイカに帰国。
「ワン・ラブ・ピース・コンサート」に出演しました。
その演奏中、ライブを観に来ていた対立する二大政党の党首をステージ上に招き、なんと和解の握手をさせたのです。
何万もの観衆が見守る、奇跡のような瞬間でした。
この一件により、ボブにはますます国民から信頼の眼差しが向けられるように。
そして、およそ二か月後に国連から第三世界平和勲章が、1981年にはジャマイカで名誉あるメリット勲位が授与されました。
音楽で政治を動かした英雄として、ボブ・マーリーはいまでも祖国でリスペクトされる重要人物なのです。
革命が起きたのは『Jamming(ジャミング)』演奏中↓↓↓世紀の瞬間(3:58くらいから)を刮目せよ。
ボブが残した大家族
シャイな性格だったというボブですが、そこがまた魅力的だったのか、傍らには絶えず女性の影がありました。
妻とカノジョと子供たち
ボブは短い一生の間に7人のパートナーと、養子を含む11人の子宝に恵まれました。
結婚も早くて、ボブが21歳のとき。
お相手リタ・アンダーソンも19歳でした。
しかし、ボブの愛はそれで収めるにはあまりにも大きかった…。
妻子がありながら、ミス・ジャマイカや卓球選手、ガボン共和国大統領の娘など、錚々たる女性たちに手を出しまくり。
その甲斐あって(⁈)、天才のDNAは彼女たちが産んだ子供に受け継がれました。
姉弟たちで「メロディ・メイカーズ(The Melody Makers)」というレゲエバンドが結成されたのは、有名な話。
それ以外の子たちも、俳優やグラミー賞を獲得するミュージシャンになるなど、みんな立派に活躍しています。
2人の間には5人の子供(つまりボブの孫)がいます。
ファミリーの女将さん、リタの存在
一夫多妻制でビッグファミリーとなったマーリー家ですが、すばらしいことに家族仲は良好です。
ボブの歌う『One Love』って、こういう意味だったんですね!
次々に女を作るボブに対して、奥さまのリタがかなり寛容だったように思えますが、彼女自身もその辺はフリーダム。
長女シャロンは元ダンナとの間に生まれた連れ子だし、四女ステファニーもリタがよそで作ってきた子なのだとか。
そんな二人のことも認知し、自分の娘として育てたボブはまさにビッグダディ。
一方のリタも、先頭に立って大家族をまとめる、相撲部屋の女将さんのような頼れる存在です。
以前インタビューでは、
「細かい男女関係よりも、ボブのメッセージが世界中に伝わることの方が大切。」
とも語っていて、彼女がボブの良き理解者であったことが伺えます。
One Love一覧表
そんなワン・ラブ大家族の子供たちを、生まれた順に並べてみました。
公認メンバー
公には以下の11人が、ボブの子供たちだとされています。
誕生年 | 名前 | 性別 | 母親 |
1964年 | シャロン・マーリー(Sharon Marley) | 女 | リタ・マーリー(Rita Marley) |
1967年 | セデラ・マーリー(Cedella Marley) | 女 | 〃 |
1968年 | ジギー・マーリー(David “Ziggy” Marley) | 男 | 〃 |
1972年 | スティーブン・マーリー(Stephen Marley) | 男 | 〃 |
1972年 | ロビー・マーリー(Robert “Robbie” Marley) | 男 | パット・ウィリアムス(Pat Williams) |
1972年 | ローハン・マーリー(Rohan Marley) | 男 | ジャネット・ハント(Janet Hunt) |
1973年 | カレン・マーリー(Karen Marley) | 女 | ジャネット・ボーウェン(Janet Bowen) |
1974年 | ステファニー・マーリー(Stephanie Marley) | 女 | リタ・マーリー(Rita Marley) |
1975年 | ジュリアン・マーリー(Julian Marley) | 男 | ルーシー・パウンダー(Lucy Pounder) |
1976年 | キマーニ・マーリー(Ky-Mani Marley) | 男 | アニータ・ベルナビス(Anita Belnavis) |
1978年 | ダミアン・マーリー(Damian Marley) | 男 | シンディ・ブレイクスピア(Cindy Breakspeare) |
非公認メンバー
愛の大きいボブ父さん。
前述した11人だけでなく、実は他にも子供がいたと噂されています(一説では7人いるとも)。
明かされているのは以下の2人ですが、ひょっとすると、実際には世界中にもっとたくさんの子孫がいるかもしれませんね。
誕生年 | 名前 | 性別 | 母親 |
1963年 | イマニ・キャロル・マーリー(Murray Imani Carole Marley) | 女 | チェリル・マレイ(Cheryl Murray) |
1981年 | マケダ・マーリー(Makeda Marley) | 女 | イヴェット・クライトン(Yvette Crichton) |
長男ジギーと女将リタの競演。まさにOne Loveです。昔ボブのバックコーラスを務めていただけあって、女将もカッコイイ↓↓↓
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