これまでのレコードの累計売上枚数は、世界中でおよそ7,000万枚。
50年以上も音楽界の第一線で活躍してるってだけでなく、俳優とか作家とか、他にもいろんな顔を持つスゴイ人なんだ。
まさに『I’m Every Woman(私はすべてを兼ね備えた女)』だね!
チャカ・カーンの歩み
チャカ・カーンの魅力といえば、パワフルな歌声とボリューミーな巻き髪、そしてそれらを携えたカリスマ感あふれるステージング。
ファンクの女王は時代を超越し、今なお強い輝きを放っています。
スター誕生まで
チャカ・カーン(Chaka Khan / Yvette Marie Stevens)は、1953年3月23日にイリノイ州シカゴに、5人兄弟の長女として生まれました。
彼女の最初のキャリアは11歳のころ。
妹のイヴォンヌ(後にタカ・ブーンとして知られるアーティスト)を含む少女たちと結成した「ザ・クリスタレッツ」で、レコードもリリースしています。
しかし、グループは鳴かず飛ばずでまもなく解散。
姉妹は、再び別のガールズ・グループ「シェーズ・オブ・ブラック」を結成して、地元でのライブを中心とした活動を続けました。
が、残念ながらこれもブレイクには至らず…。
(右下がチャカでその上が妹)
そこで姉妹は一大決心。
音楽活動に専念するために高校を中退します。
そして、いくつかのバンド経験を重ねたチャカが出会ったのが、ファンクバンド「ルーファス(Rufus)」でした。
にしても珍しい名前。
ヨルバ語(アフリカ)で「火の女」って意味らしいよ。
司祭につけてもらった「チャカ・アドゥンネ・アドゥフ・ホダリ・カリフィ」っていう名前と、旧姓を合わせたんだって。
「カーン」にしてくれて良かったよ。
ルーファス時代
メンバー交代と、チャカの加入によって生まれ変わった新生ルーファスは、1973年にABCレコードより1stアルバム『Rufus(ルーファス)』をリリース。
大成功とはいきませんでしたが、あのスティーヴィー・ワンダーの目にとまったことで、バンドの運命が大きく変わりました。
翌年、スティーヴィーが彼らに書いた『Tell Me Something Good(テル・ミー・サムシング・グッド)』が、ビルボードHot100で3位に。
グループに初めてのグラミー賞をもたらしました。
さらに、この曲を収めた2ndアルバム『Rags to Rufus(ラグス・トゥ・ルーファス)』も、100万枚以上を売り上げる大ヒットとなったのです。
「ルーファスfeat.チャカ・カーン」、そして「ルーファス&チャカ・カーン」と改名したルーファスは、その後も『Once You Get Started(愛の炎)』や『Ain't Nobody(エイント・ノーバディ)』をはじめ、数々の名曲を残しました。
初ヒット『Tell Me Something Good』↓↓↓チャカがルーファスとして出演したソウル・トレイン。若い!細い!
ソロでも大成功
1983年のルーファス解散より以前から、チャカはソロ・アーティストとしても活動を始めていました。
ワーナーから、デビュー・アルバム『Chaka(恋するチャカ)』をリリースしたのは、1978年。
アシュフォード&シンプソン夫妻が提供したシングル『I'm Every Woman(アイム・エブリ・ウーマン)』のヒットもあって、100万枚以上を売り上げました。
娘と写ったジャケットの2ndアルバム『Naughty(じゃじゃ馬馴らし)』、ジャズの名曲『チュニジアの夜』のチャカver.が入った3rdアルバム『What Cha' Gonna Do for Me(恋のハプニング)』と、続く作品も大ヒット。
しかし、彼女のソロ・キャリアを決定づけたのは、1984年リリースの6thアルバム『I Feel for You(フィール・フォー・ユー)』でしょう。
冒頭のラップが耳に残るタイトルトラックや、巨匠デヴィット・フォスターの傑作バラード『Through The Fire(スルー・ザ・ファイアー)』など、彼女の代表曲が入った名盤です。
ホイットニーもカバーしてた『I'm Every Woman』↓↓↓クレジットされてないけど、当時この曲のコーラスに若いホイットニーが参加してたってウワサも。
近年の活動
チャカ・カーンの黄金期といえば、70年代後半~80年代という印象ですが、とはいえ彼女は今もバリバリの現役です。
90年代以降は、レイ・チャールズやメアリー・J・ブライジとコラボしたり、ジャズ・シンガーとして活動したり。
プリンスのレコードレーベルに在籍していたこともありました。
2000年以降も、アルバムやシングルのリリースを続けています。
しかし、ビックリするのがテレビ番組への出演。
音楽番組やドキュメンタリーならわかるのですが、ここ最近で目立つのがバラエティ色の強い企画なのです。
たとえば、チャカが2015年に出たBBC放送の「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」は、有名人が社交ダンス(!)の勝ち抜きをするリアリティ番組。
2019年には、アマプラ日本版でもお馴染み「ザ・マスクド・シンガー」に出演し、そのシーズンの3話目でマスクを外されました(!)。
新旧ファンがうなった最新オリジナル・アルバムは、2019年のコレ↓↓↓
輝かしいキャリア
R&Bやファンクをはじめ、ソウル、ジャズ、ポップス、ロック、ゴスペル、アフリカン、クラシック…どんなジャンルの楽曲でも歌いこなす天才、チャカ・カーン。
つづいて、半世紀にわたる彼女の輝かしいキャリアをご紹介しましょう。
受賞歴
長年活躍を続けるだけあって、チャカ・カーンはこれまでたくさんの賞を授与されてきました。
●グラミー賞受賞 10回(ルーファス時代を含む)
●ソウル・トレイン・アワード受賞 2回
●ウォーク・オブ・フェイム 2,440 番目の星獲得
これ以外にも彼女は数々の賞へのノミネートや、通っていた高校があった道路に自身の名前が付けられたり、バークリー音楽大学で名誉音楽博士号を授与されたり、多方面からリスペクトされています。
いまだ現役なので、この先まだまだ受賞歴が増えることでしょう。
さまざまな顔
パワフルな彼女は、ミュージシャンとしてだけでなく多方面に活躍しています。
女優
チャカが映画『The Blues Brothers(ブルース・ブラザーズ)』に、ほんの一瞬出演していることは別のページでもお伝えしてきましたが、彼女にはもっとガチの演技経験も。
90年代ロンドンにいた頃には、有名ミュージカル『Mama, I Want to Sing(ママ・アイ・ウォント・トゥ・シング)』にシスター・キャリー役で出演。
2008年には黒人の苦難を描いた人気ミュージカル『The Color Purple(カラー・パープル)』でソフィア役として、ブロードウェイの大舞台も踏んでいます。
作家
彼女はまた、作家としての顔も持っています。
自伝「Chaka! Through the Fire(チャカ!スルー・ザ・ファイアー)」を、2003年に出版しました。
その中で彼女は、自身のキャリアと長年の薬物乱用について詳しく告白しています。
活動家
売れっ子ミュージシャンとして忙しいチャカですが、慈善活動のためにも時間を割いてきました。
1999 年には、危険にさらされている女性と子供たちのために、チャカ・カーン財団を設立。
その姿勢が高く評価され、2012年にはマクドナルド・コーポレーションの「365ブラック・アワード」(黒人コミュニティに貢献した個人を称える賞)を授与されています。
起業家
チャカ・カーンにはさらに、起業家という顔も。
2004年には、自身の名前をモジった高級チョコレートブランド「Chakalates(チャカレート)」を立ち上げ、百貨店チェーンのニーマン・マーカス20店舗で販売しました。
また、「Khana Sutra(カーナ・スートラ)」というフレグランスも発売していて、香水やキャンドル、ルームスプレーなど、さまざまな商品が展開されています。
おまけに、チャカにはドラマー/パーカショニストという顔も。ほんっとデキる子↓↓↓
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プライベート
チャカ・カーンの家系は、彼女以降ちょっとした芸能一家です。
ところがプライベートが一筋縄でいかないのが、スターのお約束。
妹と弟
チャカは3人の妹と1人の弟がいる、5人きょうだいのお姉さん。
1つ下の妹イヴォンヌとは、若い頃いっしょに歌手活動をしていたことは前述のとおりです。
彼女もその後、姉ほどではないものの一流のプロ歌手。
チャカのバックコーラスをしたり、「タカ・ブーン」と名乗りレコードデビューも果たしています。
姉妹はかなり仲良しのようで、数年前には2人そろって処方薬中毒のリハビリに参加していた時期も(笑)。
また、弟のマーク・スティーブンスも一時期はファンクバンド「オーラ」のベーシストとして、プロ活動をしていました。
妹タカと弟マークとのコラボ↓↓↓ちなみにタイトルの『FOMO』とは、"Fear Of Missing Out"(SNSで取り残される恐怖)の略。
結婚と離婚と出産と
チャカは過去に2度結婚していて、最初の結婚は17歳!
そのお相手が、彼女の芸名の由来になっているベーシストだったハッサン・カーン。
しかし、若かったせいかすぐに離婚。
その後1973年に、当時お付き合いしていたラーサーン・モリスという男性との間にできた女の子、ミリニを出産しました。
2回目の結婚は1976年。
お相手は、ルーファス解散の原因になったと言われている音楽プロデューサー、リチャード・ホランド。
息子(ダミアン)を一人もうけますが、この結婚もわずか4年で破局しました。
次の世代へ
チャカの2人の子供のうち、ミリニ・カーンは母親譲りの才能で、ガールズ・グループのメンバーとしてデビュー。
最近でもチャカのバックコーラスをつとめるなど、ショウビズ界で活躍しています。
一方で息子のダミアン・ホランドもミュージシャンでしたが、2004年になんと殺人容疑で逮捕。
その後無罪の判決を受けましたが、世間に大きな衝撃を与えたことは、言うまでもありません。
当時はチャカも援護に尽力したり、チャカの妹がダミアンの子供を引き取ったり、家族で協力して危機を乗り越えました。
そんな子供たちにもそれぞれ子供がいるので、チャカには全部で5人の孫が。
孫たちとイベントに出演したり、自宅で一緒に過ごす姿をSNSに投稿したり、今やばぁばとしてもすっかりベテラなのンです。
チャカ初心者にはベスト盤もオススメ↓↓↓