


2024年は1月15日だね。


今回はいっしょに、キング牧師について知っていこう。
キング牧師と音楽
短い生涯のうち10年以上も、公民権運動(差別の撤廃や、市民としての自由と権利を求める社会運動)の先頭を走ったキング牧師。
多くのミュージシャンにも、多大な影響を与えている人物です。
音楽界でもリスペクトされ続けるキング牧師
彼自身はジャズとゴスペルが好きで、ゴスペル界の大御所マヘリア・ジャクソンとの交友は有名です。
「I have a dream.(私には夢がある)」で始まるあの名演説も、直前にマヘリアから「あなたの夢を語って!」という呼びかけを受けたものでした。
このセリフはその後、ボビー・ウーマックやマイケル・ジャクソンをはじめ、多くのミュージシャンの曲にサンプリングされています。
公民権運動の先頭に立って闘ったキング牧師は、それほど音楽界でもリスペクトされている存在。
彼にささげる曲も、亡くなった’68年以降いまだに人種やジャンルを問わず、さまざまなミュージシャンによって作り続けられています。
名曲はたくさんありますが、年代とジャンルが違う3曲を厳選して以下にご紹介しましょう。
ニーナ・シモン / Why (The King Of Love Is Dead) (1968年)
キング牧師にささげられた数ある曲の中でも、あまりにしっくり来る傑作です。
ニーナのベーシストが作ったもので、彼女自身も「彼(キング牧師)のための曲」と公言。
しっとりしたボーカルとやさしい演奏が響く公式MVは、キングの半生を紹介する画像とあいまって涙を誘います。
パブリック・エネミー / By The Time I Get To Arizona (1991年)
ささげるというよりは、キング牧師記念日制定に反対していた、元アリゾナ州知事のエヴァン・メカムを批判するための曲。
なんともヒップホップらしい表現方法です。
曲自体もそうですが、PVのストーリーが当時さらなる物議をかもしました。
スティーヴィー・ワンダー / Happy Birthday (1981年)
一部の白人議員による反対などがあり、キング牧師記念日が制定されるまでの道のりは、決して楽なものではありませんでした。
そんな、法案が否決されたときに発表されたのがスティーヴィーのこの曲。
「良いことをして亡くなった人の記念日が決められないなんて、理解できないよ」と歌っています。
キング牧師のあゆみ
現在でも合衆国のみならず、世界中の多くの人からリスペクトされるキング牧師。
その人生を振り返ってみましょう。

Photo by Jerónimo Bernot on Unsplash
牧師になるまで
キング牧師こと、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr.)は、1929年1月15日ジョージア州アトランタに生まれました。
なお、生まれたときの名前はマイケル・ルーサー・キング・ジュニア。
父と同じ名前が付けられましたが、のちに父親が”マイケル”から”マーティン”に改名したときに、息子である彼も改名しました。

Photo by Unseen Histories on Unsplash
父も祖父も牧師という家に育った彼は、幼い頃から平等と同胞愛を信条としていたのだとか。
重ねて成績も優秀だったようで、1944年15歳のときには飛び級でモアハウス・カレッジに入学。
1947年には牧師の資格を取得、1955年にはボストン大学で神学の博士号も取得しています。


2006年に亡くなるまで、人種差別の撤廃や貧困救済のために尽力した人だよ。
モンゴメリー・バス・ボイコット事件
牧師となった彼は、しばらくの間アラバマ州モンゴメリーで、穏やかに暮らしていました。
が、1955年12月ローザ・パークスが逮捕されたことで、彼の人生は一変します。

Photo by Unseen Histories on Unsplash
ことの発端は、このローザという黒人女性がバスで白人男性に席を譲るのを拒否したため、逮捕・拘留されたこと。
これに反発した黒人たちが、モンゴメリーの市バスのボイコット運動を実施。
382日間におよぶボイコットの末、連邦最高裁判所によって、アラバマ州の人種分離法は違憲であるとの判決が下されました。
運動を先導していたキングは、これを機に公民権運動の有力なリーダーの1人となり、牧師のかたわら全米各地で公民権運動を指導することになるのです。
活躍の裏では命の危機や逮捕も
1957年に結成された南部キリスト教指導者会議 (SCLC)で、キングは会長に就任。
天性のスピーチ力で、人種差別の撤廃を訴えつづけました。
ところが英雄視される一方で、目立った活躍をすると命を狙われるのがアメリカ。

Photo by Mario Sessions on Unsplash
キングが非暴力によるデモを指導していたにもかかわらず、前述のボイコット運動中も自宅に爆弾が投げ込まれたり、1958年にはハーレムで暗殺未遂にあったりもしました。
1960年代には各地の非暴力による抗議運動に参加し、アラバマ州とフロリダ州、ジョージア州で逮捕までされています。
キング牧師を表す3つのキーワード
キング牧師を語る上で避けて通れない、3つのキーワードをご紹介。
現代のアメリカ合衆国に暮らす人々にとっても、多大な影響を及ぼしているポイントです。

Photo by Unseen Histories on Unsplash
キーワード①公民権運動
公民権運動とは、おもに1950~1960年代のアメリカで起こっていた社会運動。
ひとことでいうと、人種差別の撤廃を訴えたものです。

Photo by Ilse Orsel on Unsplash
特に南部では奴隷制度の名残りが強く、有色人種は厳しく隔離されていました。
前述のバスの件がまさにそれで、黒人の席は公共のバスの後部のみ。
前部が満席になった場合は白人に後部の席も譲らなければならない、という法律まであったほどです。
ほかにも住宅や教育、賃金、投票権など、さまざまなところで黒人は当たり前のように不平等に扱われていました。

Photo by Unseen Histories on Unsplash
キーワード②非暴力主義
先導する運動においてキングが一貫して訴えていたのが、「非暴力主義」。
非暴力的な手段で社会を変えるよう、人々に呼びかけていました。
この理念は、かつてイギリスによるインド支配を終わらせようとした、マハトマ・ガンジーの影響です。
のちにキングは、非暴力による公民権運動の促進をはかったことで、ノーベル平和賞を受賞しています。
キーワード③ワシントン大行進
1963年8月28日のワシントン大行進は、公民権運動のもっとも重要な出来事のひとつ。

Photo by History in HD on Unsplash
合衆国すべての国民に、等しく公民権を保証する法律を可決するよう求めた25万人もの人々が、キングの指揮のもとワシントンDCに集結。
連邦議会議事堂へ行進しました。
しかし、これだけの大群がキングの理念に従ったため、暴力行為は見られなかったといいます。
また、雄弁で知られるキング牧師ですが、このときリンカーン記念堂の階段で行った「I have a dream.(私には夢がある)」というスピーチはもっとも有名。
いまなお、多くの人々の心に力強く訴えかけます。

Photo by Unseen Histories on Unsplash
公民権運動の勝利とキング牧師の死
ワシントン大行進の影響もあって、公民権運動は成功をおさめます。
ところが、その直後には投票権をめぐる血の戦い、さらにキングの死という試練が次々と黒人たちを襲ったのです。

Photo by Suzy Brooks on Unsplash
公民権獲得と血の日曜日
キングをはじめとする活動家たちの活躍もあって、1964年にはようやく、雇用と教育の機会均等を求める公民権法が可決されました。
ジョンソン大統領による署名の際は、キングも立ち会っています。
しかし翌1965年3月7日、黒人が有権者登録を妨害されたことに抗議する600人のデモ隊と、それを弾圧する州軍と保安官が衝突。
「血の日曜日」と語り継がれる大惨事に発展しました。
これを聞いたキングは、再びデモ行進を決行。
最終的に目的地のモンゴメリーに着いたころには、デモ参加者はおよそ2万5,000人にまで増えていたのだとか。
こうして彼は、黒人が読み書き能力などを理由に差別されることなく、安全に投票できる権利を求め続け、1965年の投票権法をはじめとする多くの法改革を推進しました。
血の日曜日からのデモ行進について詳しく知りたいあなたには、この映画がおすすめ↓↓↓デモ隊の3割は白人だったみたいです。
暗殺
悲劇が起こったのは、1968年4月4日。
労働者のストライキを支援するために、キングはテネシー州メンフィスを訪れていました。
モーテルのバルコニーで、その夜の集会で演奏される曲目を打ち合わせしていた最中に銃弾を受け、そのまま帰らぬ人に。
わずか39歳でした。
犯人は、ジェームズ・アール・レイという白人男性。
数ヵ月後、ロンドンで逮捕され禁錮99年の判決を受けますが、服役中の1998年に腎不全で死亡しています。
キング暗殺のニュースに多くの人々、特に彼を支持する黒人たちが受けた衝撃と悲しみは計り知れません。
葬儀では荷馬車に引かれた棺がアトランタ市内を回り、そのうしろを多くの弔問者が行進しました。

「私は皆さんと一緒に行けないかもしれないが、ひとつの民として私たちはきっと約束の地に到達するでしょう。」
なんて話してたから、キング牧師は自身の死を予言していたって言われてるよ。

キング牧師の死後
冒頭で紹介した「キング牧師記念日」は、「奉仕をする日」とされています。
生涯を他者の生活向上のためにささげた彼に敬意を表し、祝日だからと休むのではなく、地域の奉仕活動に参加することが推奨されているのです。
キング牧師の死から50年以上。
残念ながら彼が身をささげた人種差別問題も、晩年に力を入れ始めていた貧困問題も、いまだにアメリカのもっとも大きな課題として横たわり続けています。
そんな中、2011年にはワシントンD.C.のリンカーン記念堂近くに、キング牧師記念碑が建てられました。
「I have a dream.(私には夢がある)」というスピーチを行った、まさにその場所です。
差別と貧困が無くならない今日も、キング牧師をリスペクトする多くの人がここを訪れています。
最後はやっぱり、胸を打つこのスピーチ↓↓↓をご覧ください。日本語字幕もあるよ。