マイケル・ジャクソンの軌跡
MJことマイケル・ジャクソンは、ポピュラー系現代音楽を進化させた伝説の大スター。
シンガーとしてはもちろん、ダンサーやパフォーマーとして、さらにコンポーザーやプロデューサーとして、あらゆる分野で最高峰に上りつめた世紀の大天才でした。
人種や性別、世代をも超えて愛され続ける彼が「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるまでの、足跡からみていきましょう。
子どもの頃からスーパースター
マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson)は1958年8月29日、インディアナ州ゲーリーで貧しいジャクソン家の六男として生まれました。
父ジョセフは当時クレーン操縦士として生計を立てていましたが、同時にバンド活動をするほどの音楽好き。
マイケルと兄弟たちも、音楽に囲まれた環境で育ったのだそう。
やがて父親によるレッスンのもと、ジャクソン家では長男のジャッキーと次男のティト、三男のジャーメイン、四男のマーロンに六男のマイケルを加えた兄弟5人で「ジャクソン5」が結成されました。
ジャクソン5は1969年、モータウンから『I Want You Back(帰ってほしいの)』でメジャーデビュー。
そこからいきなり4作連続ビルボード1位という偉業を成し遂げ、11歳のマイケル少年は兄弟たちとともに瞬く間にトップスターの仲間入りを果たしました。
脱アイドル
やがて、アイドル路線を続けさせるモータウンに方向性の違いを感じた兄弟たちと父ジョセフは、移籍を決意。
エピック・レコードから改めて、「ジャクソンズ」として再スタートを切ることになりました。
一方で、グループで圧倒的人気を誇っていたマイケルは1971年からソロ活動を開始していて、翌年発表した『Ben(ベンのテーマ)』では全米1位を獲得。
1979年には、音楽プロデューサーにクインシー・ジョーンズを迎えた『Off The Wall(オフ・ザ・ウォール)』が、800万枚を売り上げる大ヒットを記録。
『Rock With You(ロック・ウィズ・ユー』など、シングルカットした4曲をビルボードTOP10に送り込みました。
アイドルから一流アーティストへと、見事な変貌を遂げたマイケルの勢いは止まりませんでした。
1982年発売のアルバム『Thriller(スリラー)』は、印象的なミュージックビデオの効果もあって、なんと1億枚以上の驚異的なセールスを記録。
「史上最も売れたアルバム」としてギネス認定されています。
さらに、シングルカットされた7曲すべてがビルボードTOP10入り、という前人未到の快挙を成し遂げ、第26回グラミー賞では史上最多となる7部門を制覇。
『Thriller』はまさしく、マイケルのキャリアを代表するモンスターアルバムとなりました。
キング・オブ・ポップの誕生
1983年には「モータウン25周年記念コンサート」に出演。
ジャクソンズとして兄弟たちとパフォーマンスした後にソロでもステージに立ち、『Billie Jean(ビリー・ジーン)』に乗せて初披露したムーンウォークは、その後マイケルの代名詞となりました。
そんな順調に思えたマイケルのスターダムですが、翌1984年にはペプシのCM撮影中に頭部を火傷する事故に遭い、これが元でマイケルはのちに整形手術の繰り返しや鎮痛剤中毒に陥ってしまいます。
一方で、1987年にはクインシーと組んだ最後の作品『BAD(バッド)』を発売。
セールス的には前作に及ばないものの、シングルが5曲連続首位を獲得するという初の快挙を達成しました。
そんな折、1989年のBREアワードでポップ/ロック/ソウルという3部門を制したマイケルを、大女優エリザベス・テイラーが「真の王者」と称したことから、以降「キング・オブ・ポップ」と呼ばれるようになったのです。
そんなジャクソン5が、エド・サリヴァン・ショーに出演したときの映像↓↓↓ライブでもこの歌唱力とはリトル・マイケル恐るべし!
私生活は常に注目の的
全盛期の1980年代あたりから、マイケルの私生活や容姿の変化はマスメディアの格好のネタでした。
「声を高くするために睾丸を取った」とか「隠し子がいる」とか、信ぴょう性の低いうわさ話も多く報じられるように。
亡くなった後もいまだに性的虐待疑惑について番組が作られたり、彼の子どもたちがパパラッチに追いかけられたりしています。
整形・白人化
明らかに変わった肌の色や、こちらも明らかといえる顔の整形は、人々の注目を集めました。
初めて整形したと言われているのは1979年。
ステージに鼻をぶつけて骨折するという事故に遭い、そのための手術でした。
しかし、『Off The Wall』のジャケット写真の頃にはすでに鼻を数回整形していて、頬のインプラントやまぶたのリフトアップなど、複数個所の変化がみられます。
幼い頃から父親に「デカ鼻」とバカにされたり、1984年のCM撮影のときに火傷事故に遭ったりしたことなどから、その後も幾度となく整形を繰り返すことに。
一説には、「整形依存」だったとも言われています。
また、『Thriller』発売の頃から肌が白くなり始めたため、「肌を漂白している」などこちらもさまざまな憶測が飛び交いました。
しかし、これは「白斑(尋常性白斑)」という、皮膚の色が抜け落ちて白くなってしまう病気によるもの。
死後の検死報告でも証明されています。
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児童虐待
マイケルといえば、少年に対する性的虐待疑惑も長年とり沙汰されてきました。
過去に2度、容疑がかけられFBIが捜査。
民事裁判と刑事裁判が行われましたが、有罪判決を受けたことはありません。
しかしファンの思いとは裏腹に、いまだに疑う人は少なくないようです。
2019年には、米HBOでドキュメンタリー映画「リービング・ネバーランド」が放送され、子供の頃にマイケルから性的虐待を受けたという、2人の男性の証言が注目を集めました。
家庭
幼くしてスターになったマイケルですが、私生活では父ジョセフから肉体的にも精神的にも虐待を受けていたという話は有名です。
しかし、大人になった彼は結婚もしました。
1人目の相手はリサ・マリー・プレスリー。
あのエルヴィス・プレスリーの娘。
残念ながら長くは続かず、2年足らずで離婚しました。
2人目の相手はマイケルを担当していた皮膚科の看護師、デビー・ロウ。
長男プリンスと長女パリスをもうけますが、こちらも破局しています。
代理母による出産で生まれた次男ブランケットをあわせて、マイケルには3人の子どもがいますが、特に上の2人はマイケルに似ていないことからも、父親が別にいるというのがもっぱらの噂です。
キングの死
キング・オブ・ポップと呼ばれた彼が亡くなったのは、2009年6月25日。
エルヴィス・プレスリーやマリリン・モンローといった、往年のスターたちがそうだったように、マイケルも薬物の過剰摂取で突然死しました。
しかし先人たちと同じく、彼の死にもいまだに疑惑がつきまとっています。
医療ミスを問われた主治医のコンラッド・マレイに下ったのは、過失致死罪の有罪判決。
しかし医療ミスが仕組まれたものだという説もあり、大きな謎として残っています。
後日、ロス市警によって提供された死亡当時のマイケルの自宅写真も衝撃的。
散らかった部屋に散乱する大量の薬品や医療器具、そしてベッドには男の赤ちゃんの人形が…。
マイケル・ジャクソンのスゴさ
うわさ話はほどほどにして、最後にマイケル・ジャクソンという世界一のエンターテイナーのスゴさについてご紹介しましょう。
世代でない皆さんにもぜひ知っておいてほしい、彼の魅力をざっくりとお伝えします。
歌がスゴい
マイケルの歌唱力はジャクソン5の頃から世界中が知るところですが、4オクターブともいわれるその歌声を守るためにストイックな努力も重ねていました。
たとえば、彼は5秒のパートをレコーディングするために、1時間かけてウォーミングアップしたといいます。
また本当は地声が低いのに、声帯を守るために普段からあのような独特の高い声でしゃべっていたのだそう。
さらに、声紋分析でも彼の歌のすばらしさは証明済み。
いわゆる1/fゆらぎとよばれるリラックス効果はもちろん、なんと7種類の音が混ざっているという、他に例をみない歌声の持ち主でもあるのだとか。
もう天才なんてもんじゃないですよw
しかしそんな生まれもった才能だけでなく、それを守るための地道な努力を重ねたからこそ、人の心を惹きつける歌が歌えたのでしょう。
ダンスがスゴい
マイケルのダンスパフォーマンスが超一流だったことは、言うまでもありませんね。
ジャズ/ポップ/ロック/ブレイク/タップ/スイング…あらゆるジャンルのダンスを取り入れて、自分流にアレンジするという、オリジナリティあふれた高度な技術。
彼の代表的なパフォーマンスを紹介しましょう。
ムーンウォーク
マイケルの代名詞となっている、「ムーンウォーク」。
前述したように、初披露は1983年のモータウン25周年記念イベントの『Billie Jean(ビリー・ジーン)』間奏中でした。
正式には「バックスライド」というダンステクニックなのですが、世に知らしめたのがマイケルなので、彼が考案した動きだと思っている人も少なくありません。
1997年のライブ映像↓↓↓
ゼロ・グラヴィティ
ムーンウォークと並んで有名なのが、特許を取得しているという「ゼロ・グラヴィティ」。
身体を斜め45度にまっすぐ傾けるというこの衝撃的な動きは、自身の主演映画の中で『Smooth Criminal(スムース・クリミナル)』に乗せて披露されました。
撮影当時は肩からワイヤーで吊っていたので、ライブで披露できませんでしたが、のちに靴のかかとにV字の金属を仕込むことでライブでも再現できるようになりました。
ターン/スピン
オリジナルのパフォーマンスの前に、マイケルはそもそも基本的なダンステクニックが素晴らしく、それだけでも人々を魅了します。
たとえば、フィギュアスケートの選手ばりの高速回転も得意とするところ。
よく見ると、素人目にも軸の置き方がしっかりしているのがわかるでしょう。
そして、ちょっとしたステップでさえも、マイケル色に染められているのがまたスゴい。
映像がスゴい
マイケルが後世にも名を残しているのは、歌やダンスだけでなく、映像表現が時代の先を行っていたことも大きな理由です。
1981年のMTVの開局で、音楽と映像がそれまでより密接に結びつけられるようになりましたが、そのムーブメントの先駆けになったのが彼でした。
マイケルの動きやダンスが映像としてより注目を集めることで、レコードセールスにもつながったのです。
黒人ミュージシャンの作品を放送しないという、差別的なMTVのおきてをやぶって放送された『Billie Jean』や、本物のマフィアと共演した『Beat It(今夜はビート・イット)』、そしてミュージックビデオ史上最高傑作と呼ばれる14分のショートフィルム『Thriller』をはじめ、どの映像も音楽シーンを揺るがすインパクトがありました。
↓↓↓これがその伝説のミュージックビデオ。よくパロディにもなってますね。
記録がスゴい
世紀の天才マイケル・ジャクソンは当然、業界内外からの評価も高く、記録という意味でも他に類を見ない存在でした。
いろいろな分野において、賞と名の付くものを受賞した回数は、これまでになんと360回以上。
加えてさまざまな殿堂入りを果たしていて、今後もまだ受賞するかもしれません。
さらに39ものギネス世界記録を持っていて、極め付きは「人類史上最も成功したエンターテイナー」として認定されていること。
さすが、トータルセールス7億5千万枚です。
一方で、「39もの慈善団体をサポートしたポップスター」としての登録も。
慈善活動家としても活躍していたことを、最後にお伝えしておきます。
締めは、公式動画の中で最も再生回数の多い傑作をどうぞ↓↓↓
※過去のマイケル作品は、タワーレコード オンラインで入手可能です。