音楽的にも人道的にも意味が大きくて、世界中に大きなインパクトを与えたよ。
史上最大のチャリティー・ソング
まずは、チャリティー・ソングの金字塔と呼ばれるこの曲についてご紹介しましょう。
『We Are The World』とは?
『We Are The World(ウィーアーザワールド)』は、1985年3月7日にリリースされた、エチオピア難民救済のためのチャリティー・ソング。
史上8番目という、シングル売り上げを記録するヒット曲でもあります。
「USA for Africa(USAフォー・アフリカ)」名義で集まった総勢45名のアーティストたちは、いずれもアメリカを代表するトップ・スター。
全員のセールスを合わせると10憶枚を超えるほどの、超豪華キャストでした。
普段は高額な出演料をもらう彼らが全員、ノーギャラで参加。
キャリアもジャンルも宗教も異なるミュージシャンたちが、思いをひとつにしたのです。
なにはともあれ、まずはお聴きください↓↓↓
参加アーティスト
往年の音楽ファンなら、全員の顔と名前が一致しているかもしれませんね。
若い世代の皆さんはもういちど動画を観ながら、アメリカ音楽界のレジェンドたちを確認してみてください。
参加アーティスト(ソロ・パート登場順)
ライオネル・リッチー
スティーヴィー・ワンダー
ポール・サイモン
ケニー・ロジャース
ジェームス・イングラム
ティナ・ターナー
ビリー・ジョエル
マイケル・ジャクソン
ダイアナ・ロス
ディオンヌ・ワーウィック
ウィリー・ネルソン
アル・ジャロウ
ブルース・スプリングスティーン
ケニー・ロギンス
スティーヴ・ペリー
ダリル・ホール(ホール&オーツ)
ヒューイ・ルイス(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
シンディ・ローパー
キム・カーンズ
ボブ・ディラン
レイ・チャールズ
参加アーティスト(コーラス:50音順)
アニタ・ポインター(ポインター・シスターズ)
アル・ジャロウ
ウェイロン・ジェニングス
クリス・ヘイズ(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
シーラ・E
ジェフリー・オズボーン
ジャッキー・ジャクソン
ジューン・ポインター(ポインター・シスターズ)
ショーン・ホッパー(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
ジョニー・コーラ(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
ジョン・オーツ(ホール&オーツ)
スモーキー・ロビンソン
ダン・エイクロイド
ティト・ジャクソン
ハリー・ベラフォンテ
ビル・ギブソン(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
ベット・ミドラー
ボブ・ゲルドフ
マーロン・ジャクソン
マリオ・シポリナ(ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース)
ラトーヤ・ジャクソン
ランディ・ジャクソン
リンジー・バッキンガム
ルース・ポインター(ポインター・シスターズ)
でも、プリンスもその後アルバムの方には参加してるよ。
もちろんノーギャラでね。
売り上げ
1985年3月7日に発売された『We Are The World』は、ビルボードHot100で4月13日から4週連続1位を獲得。
その年内に最も売れた楽曲となり、1980年代を通して最も売れたシングル曲でもあります。
さらに3つのグラミー賞をはじめ、アメリカン・ミュージック・アワードやピープルズ・チョイス・アワードなど、数々の賞に輝きました。
商業的にも合衆国のみならず世界中で大成功をおさめ、シングルとアルバム、ビデオを合わせた売り上げは2,000万枚以上。
6,300万ドル以上を集め、もちろん印税はすべてチャリティーとして寄付されました。
『We Are The World』誕生まで
それぞれにキャラクターの強いスターが集まるとなれば、そりゃあ一筋縄ではいかないものです。
続いて、レコーディングの様子をご紹介しましょう。
誰が言い出して誰が作った?
プロジェクトは天才プロデューサー、クインシー・ジョーンズが仕掛けたと思われがちですが、実際の発起人は1956年『Banana Boat Song(バナナ・ボート)』のヒットで有名なハリー・ベラフォンテでした。
『We Are The World』を制作するひと月前、イギリスのトップ・アーティストたちが集まりシングル『Do They Know it's Christmas?』を制作。
この「Band Aid(バンド・エイド)」というチャリティー・キャンペーンが大成功をおさめたことに影響されたハリーが、アメリカ版のチャリティー・ソングを作ろうと考えたのです。
もともと社会派だったハリーは、まず同じエンタメ業界人で活動仲間でもあるケン・クラゲンに連絡。
ライオネル・リッチーやケニー・ロジャース、スティーヴィー・ワンダーに声をかけてもらい、そこへクインシー・ジョーンズが加わると話は一気に加速することに。
クインシーはマイケル・ジャクソンを呼び、ライオネルやスティーヴィーと楽曲を共作するよう指示。
結局ツアーの最中だったスティーヴィーは作曲チームとして参加ができず、ライオネルとマイケルによって作詞・作曲されました。
アメリカン・ミュージック・アワードの裏で
トップ・スターたちが、ハリウッドのA&Mスタジオに集まってレコーディングを行ったのは、1985年1月28日の夜。
街の反対側で行われていた「アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)」に出席した後に、リムジンで駆け付けるメンバーも多くいました。
マイケルはAMAを欠席し、『We Are The World』のガイドボーカルをレコーディング。
夜の9時を過ぎたころから、次々とアーティストが集まり始めました。
AMAではライオネルは司会という大役、シンディ・ローパーとティナ・ターナーもそれぞれパフォーマンスした後でしたが、この日を逃すとこれだけのメンバーを一度に集めるのは不可能だったでしょう。
レコーディング
AMA受賞式会場から直行したメンバーはみんなタキシード姿だったため、チャリティー・ソングとして誤った印象を与えかねないと考えたクインシーは、全員に服を着替えさせました。
スタジオのドアにも
「スタジオの入り口でエゴを置いてきてくれ。今日はタキシードもイブニングドレスもないパーティーだ。」
と書かれたメモが貼られていたのだとか。
こうしてクインシー指揮のもと、夜10時からまず45人のアーティストたち全員によるユニゾンとハーモニーを録音。
ソロ・パートにいたっては翌朝4時から始まって、すべての録音が終わったのは朝8時でした。
シンプルな曲が功を奏したのもあるけど、実力者たちが集まったからこそのクオリティだった、とも言えますね。
その後の『We Are The World』
曲が発売されたのは30年以上も前のことですが、USA for Africaの活動はいまでも継続中です。
気候変動問題やエボラ出血熱のための医薬品提供をはじめ、さまざまなところでチャリティー活動を続けています。
25 フォー・ハイチ
2010年1月12日に発生したハイチ地震。
この大災害による被災者を支援するため、クインシー・ジョーンズとライオネル・リッチーが再び立ち上がりました。
およそひと月後の2月1日に、同曲を『We Are The World 25 Years for Haiti(ウィーアーザワールド:25 フォー・ハイチ)』として、再レコーディングしたのです。
2人は当初、25年前と同じ1月28日にレコーディングすることを考えていましたが、より多くのミュージシャンが参加できるよう、その年のグラミー賞の授賞式あとに行うことに。
おかげで、ジャスティン・ビーバーやセリーヌ・ディオン、ジャネット・ジャクソンなど、こちらも錚々たる面子がそろいました。
なお、マイケル・ジャクソンのパートについては哀悼の意を込めて、1985年版の彼のボーカル・トラックがそのまま使われています。
↓↓↓ジェイミー・フォックスによるスピーチの後、1:10くらいから曲がはじまります。
コロナ・バージョン
2020年には、新型コロナウイルスの対策支援として、ライオネル・リッチーが『We Are The World』第3弾を発表しています。
舞台は、自身が審査員をつとめる人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」。
5月17日に放送された、シーズン18最終回の中で披露されました。
同じく審査員をつとめるケイティ・ペリーやルーク・ブライアンをはじめ、この番組の優勝者などが参加。
注目のミュージック・ビデオには、コロナの影響で人が居なくなったニューヨークのグランド・セントラル駅やグランド・キャニオンといった名所が、映し出されています。
本当は、また一か所に集まって再レコーディングしたかったそうですが、外出禁止令のためそれが叶わなかった第3弾↓↓↓
団体のエグゼクティブ・ディレクター、マルシア・トーマス氏によれば、現在でも資金は集まるけど1985年当時ほどではないのだそう。
ドキュメンタリーDVDで、このページでも紹介してきたレコーディングの様子をもっと知ることができます。その後のストーリーも要チェキ↓↓↓
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