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天才ミュージシャン&名曲

ホイットニー・ヒューストン~天使の歌声が照らし出す光と影

2022年2月11日

出典:Whitney Houston official website→https://www.whitneyhouston.com/

 

さくらだくん
さくらだくん
えんだぁ~~
ソメイP
ソメイP
さくらだくん、歌の練習かい?
ホイットニー・ヒューストンだね?
さくらだくん
さくらだくん
うん。日本でも、伝記映画『I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が公開されたしね。
ソメイP
ソメイP
主演のナオミ・アッキーの再現度が高かったね。
それじゃあ今回は、彼女の人生とキャリアを一緒に振り返ろう。

 

 

ホイットニー・ヒューストンの生い立ち

「The Voice」「天使の歌声」などとしょうされる唯一無二の歌声の持ち主、ホイットニー・ヒューストン。

まずはその恵まれた生い立ちと、初期のキャリアからみていきましょう。

 

 

誰もが認めるサラブレッド

ホイットニー・ヒューストン(Whitney Elizabeth Houston)は1963年8月9日、ニュージャージー州ニューアークに、ショービズ界で働く父と歌手をしている母のもと生まれました。

シシー・ヒューストンは60年代に活躍したスイート・インスピレーションズのリード・ボーカルで、エルヴィス・プレスリーアレサ・フランクリンのバック・ボーカルも務める実力派。

 

ほかにも、従姉妹いとこディオンヌ・ワーウィックディ・ディ・ワーウィックジュディ・クレイなどがいる、歌手の多い一族です。

 

さくらだくん
さくらだくん
ホイットニーは、プライベートでは「ニッピー」というニックネームで呼ばれていたよ。
小さいときに父親から付けられたあだ名で、お転婆てんばな女の子だったんだろうね。

 

 

デビューまで

そんな生粋きっすいのサラブレッドといえるホイットニーですが、幼い頃より母シシーからゴスペルを基礎にした歌唱指導を受けていました。

15歳になる頃には本格的にプロ歌手としての活動をスタートし、チャカ・カーンのバック・ボーカルなどをして経験を積みます。

また、容姿端麗ようしたんれいのホイットニーだけあって、17歳頃からはファッション・モデルとしても活躍。

もちろん歌手活動も並行して続けていました。

 

そんな中、ホイットニーが出演するニューヨークのとあるナイト・クラブに、アリスタ・レコードの元社長、クライヴ・デイビスが訪れます。

彼女のパフォーマンスを目にしたデイビスは、なんとその場で契約。

まんして、デビューが決まったのです。

 

 

10代らしいフレッシュさと声の伸びやかさ。そのため不倫の歌なのに悲壮感はありません↓↓↓

 

 

いきなりの大成功

ホイットニーのデビューに際して、デイビスとアリスタ社はかつてないほどの力の入れようで、優れた楽曲と優秀なプロデューサー集めに奔走ほんそうしたそう

こうして、契約からおよそ2年が経った1985年2月14日、アルバム『Whitney Houston(そよ風の贈りもの)』でホイットニーは華々はなばなしくデビューを飾りました。

 

その甲斐かいあって、アルバムはいきなりの大人気。

2曲目のシングル『Saving All My Love For You(すべてをあなたに)』からは特に爆発的にヒットし、この曲を含む7曲を連続して全米シングルチャート1位に送り込むという快挙を達成しました。

 

  1. Saving All My Love For You(すべてをあなたに)
  2. How Will I Know(恋は手さぐり)
  3. Greatest Love Of All(グレイテスト・ラヴ・オブ・オール)
  4. I Wanna Dance With Somebody(すてきなSomebody)
  5. Didn't We Almost Have It All(恋のアドバイス)
  6. So Emotional(やさしくエモーション)
  7. Where Do Broken Hearts Go(ブロークン・ハート)

 

最終的に、アルバムは全米だけでも1,300万枚以上を売り上げ、ソロアーティストのデビュー作としては史上もっとも売れたアルバムとなりました。

 

ソメイP
ソメイP
ちなみにそれまでは、ビートルズ6曲連続が最高記録でした。
そして、このホイットニーの記録はいまだにやぶられていません

 

 

 

第2の絶頂期

1987年の『Whitney(ホイットニーII〜すてきなSomebody)』、1990年の『I'm Your Baby Tonight(アイム・ユア・ベイビー・トゥナイト)』と、続く2作目・3作目のアルバムも大ヒット。

しかし、彼女の人生とキャリアの最大のピークが訪れるのは、そのあとのことでした。

 

 

映画『ボディガード』

1992年、自身の初主演映画『The Bodyguard(ボディガード)』が公開。

映画自体の成功もさることながら、サウンドトラックが全世界で4,500万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

 

シングルカットされた曲の中でも、特に主題歌『I Will Always Love You(オールウェイズ・ラヴ・ユー)』は、全米シングルチャートで14週連続No.1

アメリカ国内だけでも400 万枚のセールスとなり、ビルボード史上もっとも売れたシングルとなりました。

この記録もいまだにやぶられていません。

 

また、この曲でホイットニーはグラミー賞「最優秀女性賞」「最優秀女性ポップボーカルパフォーマンス」を獲得。

キャリアはまさに、最高潮のときを迎えたのです。

 

 

結婚と出産

そんな自身初主演映画がヒットした同じ年に、プライベートでは3年間交際していた5歳年下のR&Bシンガー、ボビー・ブラウンと結婚。

 

バッド・ボーイのイメージが強く、キャリアの落ち目にあったボビーとの結婚に当時、多くのファンからブーイングが起こりました。

そして翌年には、長女ボビー・クリスティナ・ブラウンが誕生。

 

一方の表舞台では、出産後も`95年に『Waiting to Exhale(ため息つかせて)』、`96年に『The Preacher's Wife(天使の贈りもの)』と、立て続けに映画に主演。

1作目ほどではないにせよ、いずれも商業的に成功をおさめ、それぞれのサウンドトラックもヒットしました。

この頃の彼女は、公私ともに順風満帆じゅんぷうまんぱんに見えていました。

 

 

`91年のスーパーボウルでの国歌斉唱。数々の人気アーティストたちがこなしている大役ですが、「史上最高!」との呼び声が高い↓↓↓

 

 

史上最も受賞歴のある女性アーティスト

ボンジンミュージックで取り上げる天才アーティストたちは、いずれもセールスはもちろん作品評価も高いため、権威けんいある賞を数多く受賞しているレジェンドばかり。

しかし、そんな彼らの中においても、ホイットニー・ヒューストンの受賞数は群を抜いています。

 

グラミー賞(6回)
ビルボード・ミュージック・アワード(16回)
アメリカン・ミュージック・アワード(22回)
エミー賞
MTV VMA
NAACPイメージ賞
BET賞
ソウルトレイン・ミュージック・アワード

などをはじめする数々の賞に輝いています。

そのため、当時すでに411もの受賞歴があった2006年には、「史上最も受賞歴のある女性アーティスト」としてギネス認定されました。

 

 

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女王の陥落かんらく

アーティストとしてだけでなく、ひとりの女性として、そして母としての幸せをつかんだかのように見えたホイットニー。

ところが、このときすでに彼女の人生は望まない方向へ進んでいたのです。

 

 

家庭内トラブル

もともと薬物依存症といううわさのあった夫ボビーの影響から、ホイットニーもドラッグおぼれるように。

しかもボビーから日常的に暴力を受け、さらには当時彼女のマネージメントをしていた実の父親から賃金の未払いで訴えられるなど、えがたい不幸が続きました。

2000年にはとうとうホイットニー自身が大麻所持で起訴され、2004年にはアルコールと薬物依存のためリハビリ施設に入所することに。

げっそりとほほがこけ、ほがらかだった性格も一転した彼女の姿に、世間は驚きを隠せませんでした。

 

whitney houston

(使用前)

  ⇩

whitney houston

(使用後)

 

そもそも幼い頃に親戚から性的虐待を受けたり、成功してからは彼女の財産に家族がしがみついてきたり、身内に関するトラブルがきなかったようです。

 

ソメイP
ソメイP
ホイットニーはレズビアンだった過去もあるそうで、これも昔のトラウマが影響しているのかも。
彼女の抱える闇は根深そうですね。

 

 

再びの挑戦

周囲の説得もあって、2007年に離婚が成立。

そこからさらにリハビリを続け、2009年にはアルバム『I look To You(アイ・ルック・トゥ・ユー)』をリリース。

1週目で30万枚以上を売り上げ、念願のカムバックを果たしました。

 

そして翌年からはこのアルバムを引き下げて、11年ぶりのワールドツアー慣行かんこう

ところが、イギリスではライブ中に息切れを起こしたり、フランスでは呼吸器の感染症で入院したりなど、トラブルが相次ぐ結果に。

 

しかし、そこはくさっても元トップスター。

2011年にアルコールおよび薬物依存からの復帰プログラムを再開した後、`76年の映画『Sparkle(スパークル)』をリメイクする、という長年の夢を叶えました。

主人公の母親役として出演し、映画の製作総指揮もつとめました。

ちなみに、残念ながら完成には至りませんでしたが、他にも2本の映画製作に取り組んでいたようです。

 

 

突然の別れ

現地時間2012年2月11日、ホイットニー・ヒューストンは48歳という若さでこの世を去りました。

かつて世界中のステージでファンを魅了していたスターの最期は、翌日のグラミー授賞式に出席するため滞在していたロサンゼルスのホテルの一室。

バスタブの中に倒れていたところを発見されました。

 

直接の死因は溺死できし

入浴中にコカインの影響で心臓発作が起こり、バスタブに沈んだとみられています。

 

しかも不幸はこれで終わらず、2015年には愛娘ボビー・クリスティーナも22歳という若さで亡くなっています。

自宅のバスタブで、母親と同じようにうつぶせのまま意識不明の状態で発見され、一時は意識を取り戻すも、完治するには至らなかったようです。

 

 

ソメイP
ソメイP
ボビーの交際相手、ニック・ゴードンもかなり評判の悪い男でした。
ボビーの死後、家族から訴えられていましたが、2020年に謎の死げています。
さくらだくん
さくらだくん
2022年12月には、伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』も公開されたよ。
前に制作されたドキュメンタリー映画と見比べるのも良いかもね。

 

 

 

やっぱり最後はこの曲で締めましょう。彼女の歌声はオールウェイズ・ラヴ・ユー、永遠に愛され続けます↓↓↓

 

 

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